読書記録➀『阿Q正伝・狂人日記』
博識大学生になるぞー!と意気込んだのに何も投稿せず、いつの間にか二か月が過ぎてた。時の流れが中古で買ったiPadの充電の減りと同じくらい早くて、泣けちゃう。
この二か月間何をしていたかというと、まず、漫画を趣味で描いているんですが、それが止められなかった。楽しすぎて…。それと、早期化の波にのまれた風の顔をして、就活をぼちぼち進めていた。あと、学校の課題が普通に多い。ちなみに、漫画は今でも止められていない。一旦就活に専念したいからやめたいんだけどなー、って、他人事のようにのんきなことを毎日日記に書いてる。
読書に関して、実は上記の活動と並行して、竹村和子氏の『フェミニズム』をずーっと読んでいるんですが、どうしたって膨大な量の情報が記されているので、なかなか内容をまとめられない。なのでもう何回も貸出延長手続きをしています。
それでも、同じ本ばかり読んでいたらさすがに飽きちゃうので、中国語の先生に教わった魯迅の作品を読むことにしました。先生が仰っていたのは、「魯迅は一つの思想をよりどころにしない」ということ。ただ、このときのメモをなくしたので、それ以上の意味は分からない。とにかく私は先生が仰ったことにいたく興味を持ったらしく、学校で岩波文庫を借りていました。
まず読んだのは、『阿Q正伝』。
…わ、わかんねー。無学ゆえ、当時の中国の風俗や背景が全く分からん。阿Qや小Dがどんな身なりなのか全く想像つかない。まあとりあえず、辛亥革命の時期にいた貧乏な男性の話だろうということだけを理解して読み進めた。中学校の教科書のおすすめ欄に載っていたときから不思議だった、漢字とアルファベットの組み合わせの理由を知ってすっきりしました。
阿Qはずいぶんと楽観的というか、刹那的だなあと思った。なんというか、自分の人生とか自分を取り巻く社会とか、そういうものには深い思いれがない感じ。そりゃそんなのらりくらりと革命やろうとしてたなら処刑されちゃうって。
ただ…私も阿Qのことを馬鹿にできねえ……。
みんな就活を始めたからと、私もとりあえず企業のマイページ登録しまくったり、自分に心地よい政治家の言葉だけを信じたり……。私だって、のらりくらりと生きてるんじゃねえの…?私も阿Qみたいに、いつの間にか処刑されちゃうのでは……。と、思いもした。
でもそれじゃあ、民衆はどうすればいいんでしょうかね。やっぱり勉強?自分の意志で動けったって、就職できなくて不安定な生活になるのもちょっと怖いと思っちゃうし、マイページに登録するしかなくない?
やってほしい政策を掲げる政党に投票するのは当たり前じゃない?
大衆を批判する文学はたくさんあるし面白いけど、じゃあ私たち大衆はどうすればいいんだろう?
まあ、そこから自分で考えずに周りに流されてどうするってことなんでしょうね。
(あと、地の文(?語り手?)から女がどうこう言われて、うるせえよと思ったけど、呉媽を襲おうとした阿Qがこてんぱんにこき下ろされていて、そこはよかった。地の文の語りもこのためのカウンターなのかしら。)
次は『狂人日記』。短くて読みやすかった。大どんでん返しがあるのか!?って思ったけど、特になかったのも怖くてよかった。
やっぱり最後らへんのセリフが好きだなー。
四千年来、絶えず人間を食ってきた場所、そこにおれも、なが年暮らしてきたんだということが、きょう、やっとわかった。
人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしら?
せめて子どもを……
なんというか、ずーんときますね。少なくとも自分はまともだと思っていたけれど、やっぱりおれだって、人を傷つけながら自身は傷つかまいとするような人間たちがいる場所で生きてきたんだ……。それでも、もしかしたら、新しい世代には希望があるのではないか、と願いながら終わる日記。怖い。
あと、教科書の定番、『故郷』も読んだ。「飯をいためて食べる」ってのがやけにおいしそうだと思った記憶しかなかったけど、読み進めるうちに中学校の頃の記憶がよみがえり、大変ノスタルジックな気持ちになった。思いがけず主人公と同じ体験。こんな話を13、4歳で読まされたってよくわからんだろと思っていたが、もしかしてこのためにあったのか?
希望を言えば、かれらは新しい生活をもたなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。
ここいいよね。さっきの『狂人日記』と似た感じ。あと、ストーリーとは全然関係ないんだけど、この話の主人公は口調が柔らかくて好き。文豪の小説でたまに出てくる柔らかい口調大好き。「~かしらん」とか、当時は別に柔らかくもなんともなかったのかもしれないけど、やっぱり現代目線からみるとかわいくておもしろい。
だらだら書いちゃった。あと何編かありますが、今回はとりあえずここまで。教科書以来一回も読んでなかった人だけど、面白かったです、魯迅!