戦闘民族への入り口

就職活動と聞いて、どのようなイメージを持つだろうか?

大半の人が、「ついにこの時がきてしまったか、、」 「嫌すぎて、血の気が引きすぎて貧血になった」 「あれは日本の個性抹殺教育の最高傑作だ」などなど言葉には到底表し切れないほどの負のイメージを抱えていると思う。

僕はというと、正直なところ、今挙げたような認識が一ミリたりとも脳に過らないほど、就活に対してポジティブなイメージを持ち、就活を楽しんできた。

就活を心待ちにしてきた層は、社会的に極めてマイノリティであることに、就活が終わった今になってやっと気づいたほどの陶酔ぶりだった。

僕のことをよく知っている人からすると、結構意外なのではないかと思う。

僕は全く持って意識が高くない(たとえ高かったとしても高いだけで行動が伴わない)タイプな上に、就活で輝くようなタイプでもない。むしろ企業側は僕のような人を落とすために選考を行なっているのではないかと思う友人もいるだろう。

ここでは、僕を「戦闘民族」にさせたメカニズムについて考えてみたい。

まず、前提として僕の性向を紹介しておきたい。僕は「努力し、それが目に見える成果となって現れ、報酬が与えられる」ことにより、何らかの快楽物質が分泌される人間である。

また、その過程で出逢う圧倒的な実力者に対して、強い憧れを持つタイプである。

それゆえに、これらの条件が揃った時には、高い確率で輝くことができる。また逆も然りであり、これらの条件が満たされない場合は、極めて高い確率で落ちぶれる。

例えば、大学受験において、結果はともあれ僕は間違いなく戦闘民族であった。

毎日12時間近くの勉強を1年半続け、勉強の計画やその中身についても極めて高い水準であったと認識している。

これは、やればやるほど成績が伸び、受験期においては成績が良いことが学内で一種のステータスになっていたことが要因であると考えている。

また、通っていた塾に圧倒的な実力者が存在したことも大きい。成長後の自分像を彼に重ね合わせ、頑張ったら彼のようになれると思い込むことで、彼の存在が一種の報酬として機能し、勉強のモチベーションが高まっていたのかもしれない。

しかしながら、大学受験の浪人期においては、間違いなく僕は戦闘民族たり得なかった。理由は以下のような類であると考えている。

・現役時代に実力がある程度上がりきっており、勉強の投資対効果が低かったこと
・周囲のレベルが異常に高く、高成績への報酬(塾内でのステータス向上等)がないこと

要するに、僕にとって「努力し、それが目に見える成果となって現れ、何らかの報酬が与えられること」 と「圧倒的な実力者の存在」はパフォーマンスを左右する決定的な要素なのである。

以上の僕の性向を踏まえた上で、今回の就活というイベントはどうだろうか?

結論としては、このイベントは上記の条件を完全に満たしていた。それゆえに、半ば必然の出来事ではあるが、僕は戦闘民族になった。

僕が見ていたコンサル業界の選考は、僕の論理的に整理する能力の高さと、それを伝える力、いざという時の瞬発的な思考力の高さと完全にマッチしていた。(ここら辺は僕の知人にしてみると極めて意外だと思うが、そうなのである)

それゆえに努力してみるとすぐに結果が出た。こんなにも人間的魅力度に欠ける僕が、なぜか選考にあまり落ちないのである。

そして、コンサル業界は世間的には高難易度であると認識されていたことから、選考に通ることで僕の報酬系も程よく刺激された。

しかし何よりも、僕にとって就活を頑張る上で1番のエンジンとなったのは、【圧倒的実力者】の存在である。

コンサル業界の選考では、論点思考や論理的思考といった、再現性が高く実力も見えやすい能力を評価するため、実力者はとにかく目立つ。

そして、今回出会った実力者達は、今まで僕が出会ってきた実力者達とは数段レベルが違った。

今まで僕が出会ってきた実力者達の偏差値が75だとしたら、今回は150はあったと考えている。

漫画におけるラスボス集団(四皇、暁、幻影旅団、奇跡の世代)をイメージすると分かりやすいだろう。

世の中には、格が違う実力者達がいるということに衝撃を受けると同時に、並々ならぬ何らかの物質が分泌されたのを覚えている。

まとめると、今回僕が晴れて戦闘民族となったのは、たまたま僕が目指した業界が、たまたま、社会的に認められており、たまたま、僕の能力とマッチしていたからである。それにより、僕の黄金法則:努力⇆成果⇆報酬が回転し、真の実力者達と出会うこともでき、さらにモチベが高まった。完全に運である。

運、、、。

思い返してみると、去年は大吉だった気がする。


(気に入ったら投げ銭お願いします、、)

ここから先は

0字

¥ 400

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?