ひぐらしのなく頃にとリゼロと鋼の錬金術師と。
最近読んでおもれーって思った作品を突っ込みました。こいつらの根底に流れてる面白さについて考えてみようと思います。
まず、リゼロとひぐらし。読んでて思ったのは構造がものすごい似てる。単純にタイムリープものであるところもそうだけど、物語の流れとして、
①惨劇が謎として提示される
②主人公がやり直しによってそれを暴く
③多くの人々の協力によって解決に導く
という流れ。
一見不条理に見えた出来事の数々も、何度も同じ時を繰り返すことでその全貌が明らかになる。すべてが主人公たちに都合の良いような結末であっても、それを得るまでの過程が明らかになるから納得感があるし、なにより何度も繰り返さないといけないような状況に立ち向かうキャラクターたちに愛着ができる。主人公の無力さも、たくさんのキャラクター達の行動によって盤面をひっくり返すことで解決する展開にカタルシスを産むことにつながる。
さらに言えば、繰り返すということによって、総合的な登場する場面の数は少なくなるから、そこにたくさんの伏線などの情報量を入れられて、あとから読者が全体を見渡したときに、またその作品を味わえる。タイムリープものって、完成されてる作品多いなって思うけど、ある意味必然なんだなとも感じる。
次に、ハガレンとリゼロ。
その他進撃の巨人とか名作全般にも言えることだけど、神話や古典文学みたいな、下敷きを敷いてそこにある程度乗っかってる作品の良さを感じる。強い敵を出すときの戦略として、
①作品に固有な名詞をつくる(ブリーチ的な)
②七つの大罪とか神の名前とか、現実世界で共有されてるものになぞらえる
の2つがあると思っていて、個人的に固有な名詞が出てくるとだんだん理解が追いつかなくなる感覚を覚える。オフチョベットしたテフ的な。
この二作品は七つの大罪になぞらえた敵キャラをメインに据えてる作品だけど、そこが良かったんじゃないか。つまり、②を採用することが、効果的に働いてるんじゃないかと思う。
七つの大罪に限った話をすると、シンプルにたくさんのキャラクターの行動原理や性格に、それらがかぶることなく、説得力を持たせられるというメリットがある。
強欲の名を冠してるやつが強欲な性格で、強欲な力を持ってて、強欲な行動をするのは、悪役としてシンプルに完成されたフォーマットだ。だからこそ古来より「大罪」といわれる。
一貫した行動原理を持つキャラ、言い換えれば信念のある、突き抜けたキャラが、たくさん配置されているこれら両作品において、この利点は大きかったんじゃないかと思う。
そして、これら3作品個々について。
まずリゼロ。
個人的には読んでいて一番作者の凄さを感じた。
王座を奪い合う候補者というグループ、大罪司教という敵グループ、魔女とかの殿堂入りグループ、三大魔獣に代表される魔獣たちなどそれぞれがそれぞれに魅力的なキャラクターやファクターばかりで、さらにミステリー的な要素も含んだループものでもあり、たくさんの人間の尽力によって勝利を掴み取るカタルシスまで描く。
主人公も魅力的で、登場人物たちが主人公を好ましく思うのにも説得力がある。作中の時代までの長い歴史にも伏線や物語の核心があって、自分には進撃の巨人と同格かあるいはそれ以上の作品であるように思える。
次にひぐらし。
ノベルゲームから来ているし、当時の考察スレッドや作者との交流などのライブ感含めての作品であるとも思う。ミステリー要素があまり強いわけではないというか、納得のできるような真実ではないけれども、リープしている人物がいることを途中で明かす展開や、主人公が狂っていて、その視点には正しくないことが含まれたりすること、解答編でキャラクターの行動原理が全て明かされたときに出題編を読み返すと大量の伏線に気づく構造など、ミステリー的な楽しみが最大に表れているような作品であると感じた。キャラもそうだが、郷愁を思わせる舞台設定も、感動を与えてくる。
終盤のバトルパートにはご都合感があるし、セリフ回しには鳥肌がたったが、作者の伝えたいメッセージみたいなものがはっきりしていて、ジャンプ漫画的な系譜のアツい作品だと思った。
最後にハガレン。何よりキャラクターがいい。個々のキャラクターが好ましいというか、人間性ができてる大人ってこういう感じだよなーという感じのキャラクターばかりで、荒川先生は人と向き合って生きて来たんだろうなという印象を受けた。生命の尊さや人と人とのつながりの大切さみたいな、the少年漫画なテーマをアツく、一巻からの対称的な構造で描いていて、そりゃ名作だわという感じ。キャラも死ぬほどかっこいい。
読んだときに思ったのはこんな感じ。面白かったらなんかコメントしてあなたの考えを教えてくれたら嬉しい。