私なりの幸せ 完

この記事を読んでくれるあなたへ

スヨンと出逢ってくれてありがとう。
この1年9ヶ月はとても幸せでした。

コロナが始まると共に上京しました。
芸能活動は思ったようにいきませんでした。
今もまだ続けていれば違った未来があるのかなと考えることはあります。

自分の幸せを見つけるために2022年2月7日に入居しました。
そこから毎日楽しく過ごしました。

一緒に住んでいる人が、私の日常の風景の一部になっていると気づくたびに
幸せを感じていました。
ハウス内にいてもなんだか寂しい時は後ろからハグをして、
美味しいものは「美味しいから食べてみて!」と共有して、
ご飯会の後はみんなでアイスをかけてじゃんけんをして、
みんな誰かのことを思いながら生きている。

(アイスをかけたじゃんけんはアイスを食べたいのではなくて、みんなで円になって戦うあの時間が楽しかった。)




ご飯会
昨年のアドベントカレンダーでこうちゃんが書いた記事を見て、私も毎月開催しようと思いました。
(結局毎月はできなかったけどw)

食卓を囲むたびに仲良くなる魔法は本当にありました。
11/5 最後のご飯会は20人くらいが集まってくれました。
スヨンが作ったご飯を食べたいという名目でもいいんです。
スヨンに会いに来てくれたことがすごい嬉しかった。

初めましての人も一緒に食卓を囲んで、思い思いに言葉を交わすあの空間がもう味わえないと思った瞬間、失うものの大きさに気づきました。

幸せは目の前にある。
目には見えなくて、でもそこにあって。



他人だったはずの人々がいつのまにか家族に近い存在になっていくことがすごい不思議な感じがありました。

自分が出て行く時には泣かなかったのに、私の時には泣いてくれた人がいました。

一緒に遊んで
ご飯を食べて
お昼寝をして
たわいもない話をして
何気ない毎日がそこにはありました。

その人がくれた手紙にはこう書かれてありました。
「スヨンとあと何回会えて、いつまで隣で笑って、手を繋いでくれるかな」
私の大切な人は私以上に私のことを思ってくれていました。
だからこそ離れたくなかった。

それでも私は生まれた故郷が好き。
今後は故郷に貢献できる仕事をしようと考えています。



「絆家で一番思い出に残っていることは何?」と聞かれた時、すぐに答えが浮かびませんでした。
もちろん廃校キャンプや公園でのモルック、たくさん参加したご飯会。
楽しかった思い出はたくさんあります。
でも一番ではありませんでした。


私が絆家で一番思い出に残っているのは
toiroの建物に全体に流れるやさしくのんびりした空間
住人のみんなが笑って過ごせるリビング
おはよう。おやすみ。の言葉が交差するドミトリー
子供達の無邪気さが聞こえる屋上

全てが私にとって心地良く過ごせる場所でした。
実家に帰省しても、すぐにtoiroに帰りたいと思うくらい好きな場所でした。

共に暮らしながら、相手のいいところを見つけていく。
家族みたいで、友達のようでもあって、絆家は私が私でいられる場所でした。

今は私の好きな故郷にいるはずなのに、
周りに誰もいないことがすごい寂しいです。

この記事を書きながら思ったことがあります。
また会うことのできない人との
過去の出来事を思い出しながら書いているかのようです。

心は繋がっているのに、
SNSを使っていつでも連絡取れるのに、
顔を合わさないだけで心が遠ざかっていっているような感覚があります。




東京に行くことがあったらtoiroに顔を出します。
私の大切なみんなに会いにいきます。

また会う日まで元気でね。

みんながこれからも幸せでありますように。



2023年12月25日  元toiro スヨン



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