今ある自分をつくる風景について
こんばんは!
突然ですが、皆さんには心に残り続ける
風景、「撮れなかった写真」はありますか?
そんなものたちが今の自分を作っているなぁと思い、
記事にしてみました。
私のとれなかった写真は、大学1年の頃
大学探検部の同期と過ごしたなんでもない瞬間の空気感です。
学祭のとき部室で夜通し鍋パをして
掃除をいつしたかわからない床に銀マットで雑魚寝、
朝になって学祭の喧騒を遠くにだらだら鍋を洗ったこと、
摩耶山へナイトハイクしたときに登りながらはじめてであった
エヴァオタ同期と「魂のルフラン」を口ずさみながら
ノリノリで登った瞬間など。
同期で鍋パをした片づけをしただけでたのしかった
なんでもない日々、時間は写真で写されるようなものでも
ないんだろうなと思います。
いつか年をとって色々なことが片付いたら、またあの何も比較基準の何もなかった時に戻って、少し以前と気分のちがうモラトリアムを
またみんなで過ごすことが1つ夢です。
もう1つ、やや質問の意図から外れるかもしれませんが、
私の撮れなかった写真、存在することのなかった写真は
人生をかけるつもりで進学した大学院でのインドネシア留学がとうとう叶わなかったことです。
未経験の分野ながら試験勉強し入学するも
コロナの蔓延とピッタリかさなり、
5年間のJICA草の根プロジェクトに相乗りして地域研究をする道は絶たれてしまいました。
父には、渡航回復までいつまでも待てばいいとも言ってもらえましたが
20代は少しでも社会人生生活含め経験値と実体験を得ることを
選び就職しました。
海外、東南アジアへの強い関心は、今は胸の奥にしまっておいて
まずは自分の生まれた国、日本の農業について米を中心に
産地と市場を見つめています。
あのまま留学していたらどんな写真が撮れたのだろう、と
ふと思う日があります。でも、今の選択は選択でここまで考え抜いてきて
ベストないしベターを更新し続けてきたので、悔いはありません。
むしろ、日本や自分の地元を深く見つめ返すことなしに、いったいどんな地域研究ができただろうかと思ったりします。
撮れなかった写真は、これからの人生の岐路に立った時、
ふと胸をよぎって、その選択に影響を与えるのかなと思いました。
私が未だに北九州の平尾台で地域研究を続けるのも、
そうした目に見えないたくさんの写真が積み重なって、
突き動かされているのかもしれません。
みなさんの心にある風景、写真は何でしょうか?
ぜひ教えてください!