
【イシス編集学校第54期[守]特別講義●宇川直宏の編集宣言】〈エッセイ〉
#編集を人生する
#偶然性 、偶発性、事故性をリソースとして受け入れる意思
ナンセンス生成(造語)の意味が少しだけ分かった気がする。またその必要性も分かった気がする。
ジョン・ケージの偶然性の音楽の動画、芸術や音楽などの “センス” にあまりアンテナを張っていないそれだけ見ると恐らく「なにしてるんだろう?」としか思わなかっただろうと思う。しかし宇川さんのお話を伺ってから見ていると、私たちの暮らしにあるものを音楽としていることが少しわかったように感じた。そしてそれを見ている観客たちの笑い声が少し気に入らなくも感じた。
宇川さんのお話の中で、個人的には “センス” というものが前よりも分かったように感じたことが嬉しかった。
>> “センス” は、五感から感じ取られた美式によって構築された文脈の上に存在しているから、 “センス” とはまずコンテクストを十分に把握することが大切で、その上で、採用したり、あえて外したりして編集することによって表出するものである。
今まで分からなかった “センス” が少しわかった気がした。個人的には日本の「お笑い」にもその要素があると感じた。日本のお笑いでは、個人がその場で面白いことを言わずとも、その人のこれまでの経歴や経験してきたこと、さらに社会の中で起こったことを全てフリとして笑いを取る。だから様々なことにアンテナを張っていないと、ときには何が面白いのか分からなくなることがある。それと似ているように私は感じた。
冒頭にあった「編集を人生する」というキーワード。自分がこれまで立ち会わなかった “編集” をこれから自分に取り込んでいく理由の一つになりそうだなと思ったり。
まぁまだ全然わからないけども。
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今回はもっともっと興味深い話を聞くことができていたが、それらを全然咀嚼できていないのだなと、自分のエッセイを再読して思った。ひとまずメモは取っていたのでまた読んでみようかなと思ったり。
cf.)1304夜『セレンディピティの探求』
https://1000ya.isis.ne.jp/1304.html