手伝い始めると、もっと、もっと2
遅くなってしまいました。秋ですね。
前回の続きです。
1年前の2023年9月、国政報告会があり、そのときに主催が父の後援会の女性局だったため、母の代わりにまた一言挨拶をしないかと父から話がありました。
前回の選挙から2年たち、人前でしばらく話していなかった私。
どんな話をしようか、スマホのメモに話そうと考えていたことを書き留め、会場に行きました。
ただ結局スマホのメモは一言も使いませんでした。
父の話は面白く、また何をどう進めようとしてるのかめちゃくちゃわかりやすかったんです。
1市民として『あぁ、これからも政治家やっててほしいな』と素直に思いました。
本当、切り抜きとかされてたらバズったのではないでしょうか。それくらい面白かったです。
なので私からは、これからも政治家をやってほしい、やるべきことをきちんと当たり前のようにやる人に、政治をこれからもお願いしたいと話をしました。
親子として言い合ったりムカついた日はあれど、政治家として敬わない日はなかったです。
そんなことで、私もお父さんのちからになれればいいな、またこういう機会があればそのときには話したいなと考えておりましたら。
翌日、父からラインが1通。
網膜剥離で入院することになりました。
これから緊急手術。
…!?!?となり、その場にいた上司に
「父が入院しました…」と話しました。
上司も父の存在は知っていたので『!?』と驚いてましたが、何かあったら休んでくださいね、と優しいお声掛けをいただきました。ありがたい。
そしてその間にも父には膨大な仕事がある。
でも父は2-3週間の絶対安静がマスト。
…やるしか!
ということで、秘書さんに『政治はできませんが、私で代理ができることはないでしょうか』と相談をしました。
そして、平日は会社員、土日は父の代わりに色々な会に出席する、そんな日が始まりました。
そして聞けば聞くほど、いろんな声があり、状況があり、要望も励ましもあり。
父がどれほど身を粉にして働いていたか、耳を傾けていたか、予算を引っ張ってきたか、要望を叶えてきたか。
その量に驚きました。
一方、声を聞けば聞くほど、それを叶えるために動く必要もでてくるわけで、そのためには永田町にいる必要も勿論あるわけで。
でもその姿は地域の皆さんには見えない。そりゃそうです。永田町ですもん。
平日は永田町、土日は佐賀。
当時は政務官もあり、在京当番もありました。
そんな父がどれだけ働いてきたか。
国会議員になってから、祖父の忌引で1日休んだ以外休んだことがない父。
そりゃ休めないよ、と思いました。
入院はそういう意味で、休みなさいという何かしらの暗示だったのかもしれません。
そんな日を続けて、無事父は退院し。
でもそれでも与党だとなかなか回りきれない部分があり、今も時々、父の手伝いをしています。
こんな経験も珍しいです。
貴重な日々を過ごしています。
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