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恋愛に「唯一」なんてないよ

恋は盲目とはよく言ったもので、本当に何も見えてない状態の時がある。あった。


そういう時に、周りの人間に何を言われても無効である。
しかし友達、特に相手が彼氏なら男友達、彼女なら女友達が言うことは信ぴょう性が高いという話、あれは本当だ。幼馴染や男友達に散々、「お前は男を見る目がない」と言われ、そんなことないわ!と胡坐をかいていたら痛い目を見た。
どうしてこうも、彼らに渋い顔をされる人ばかり好きになるのか。タイプだからに他ならない。


今回は男女のことについて書くので、読んでいて思想が強いと思われることもあるだろう。ただの一意見であるため、ご容赦願いたい。



まず、私がなぜ「見る目がない」と言われてきたかについてお話したい。私は小学生の頃から筋金入りの、「クラスの問題児好き」である。

オタク女のイタい妄想だと思ってくれて構わないが、そういう人間となぜか仲良くなりやすかったのだ。

からかってやろうと思って声をかけてくるんだろうな。

なんせ眼鏡の図書委員だから。

(眼鏡の図書委員のみなさん、すみません。)


そして、何事も断らなさそうな弱い人間に見える(実際そう)から、「クラスの問題児君のこと、よろしくね」と担任に言われ、世話をすることになる。これが髄まで染みついてしまっているのが問題だ。

「私が面倒を見なければ」という驕り。


いいか。これは、「私、ほっとけなくて…...。分かってあげられるのは私だけなんです!」と言う可哀想な女の、不幸マウント話ではない。傲慢な心を戒める話だ。
何が、「面倒を見なければ」だ。そんなものは各々の家庭や教師に任せておけ。同じ年の、ただの子どもに何ができるというんだ。

「○○のことよろしくね」を幼少からやられたことがある人間は、間違いなく一度は痛い目を見ているはずだ。
「大人に頼まれた」「しっかりしていると言われた、嬉しい」という感情が、段々、「私がやらなくちゃいけないこと」「私にできることはこれだけ」という感情に変わっていくので注意した方が良い。

自己肯定感が低い人間が、特にそういう状況に陥りやすいというのも納得だ。「何もできないカスだが、どんな人でもいいところがあると思える、受け入れられる懐はある。まあ自分ほどのカスはなかなかいないですし。」とかいう思考をしているからである。
かと思えば、「私は全世界を、全人類を憎んで生きる醜い人間です。顔も性格もダメ。カス。」と思考している日もある。厄介だ。

話が逸れた。自己肯定感の話がしたいのではない。

「唯一」だと思うな。その傲慢さを捨てろ。

という話がしたいのだ。

恋人がいる人間がこんなことを言ったらいけないのかもしれないが、私は恋愛関係に唯一などないと思っている。
恋人にも私を唯一だと思わないでほしいのだが、これは私が「不健康な唯一」しか経験したことがないからかもしれない。

「きらめく唯一」は創作物にしか存在しない!!!


思わぬところで思想が強いオタクであることが露見してしまった。
相棒関係などの唯一は大好きである。むしろそればかり摂取して生きている。最高。



全人類が好むような人間というのは難しい。しかし「あいつって好き嫌い分かれるよな」と言われる人間は大抵、濁されているだけだ。「好き嫌いが分かれる」と言われている人間とはお付き合いしないことをお勧めする。

そして「好き嫌いが分かれる」人間を「唯一好き」な人間になろうとするのは良くない。良くないのだが、制御が効かないので困ったものだ。

「私だけが理解してあげられる」「私だけが支えられる」、そんなことはない!!こと学生に関しては特に!!子どもなんだよまだ!!!


疲れてきたのでもう締めることにする。

兎にも角にも不健康な唯一に飲まれないように、「私だけが」という傲慢な心で恋愛関係を築かないように、私も気を引き締めていきたい。




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