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俺のフルーツ談議

フルーツが好きだ。
私は水分を摂るのが苦手というのは有名な話だが、昔、「水分を塊にしてくれないかな」「飲むと食べるの間の子みたいなものないかな」と考えていたことがある。考えた結果、それってフルーツだなと気がついた。

そんなフルーツについて、「ない話」を繰り広げるおじさんたちがいた。

日頃から「ない話」ばかりする変なおじさんたち、皆さんご存じのオモコロチャンネルだ。


まず言いたいことは、この談議を擬人化という枠に当てはめないでほしいということだ。擬人化ではない。我々がフルーツの世界に入るのだ。
オタクは擬人化が好きだと全人類が思っているはずだ。確かにそういう時もある(全て好きとは言わないオタクのめんどくささ)。しかし、事これに関しては違う。

舞台はフルーツの世界、主役はフルーツ、登場人物は私。


さあ、どうする。



早速友達にしたい、いや、私の友達のフルーツを紹介しよう。


枇杷


枇杷だ。
名前を見てほしい。”び”と”わ”という仰々しいような音の組み合わせだが、ひらがなにも漢字にも丸いフォルムがあり、優しい雰囲気が出ている。

そもそも私は、産毛というものが好きなのだ。ふわふわの短い毛が。


シルバニアは通らなかったので知らない。ソフビはあまり持っていなかった。
ではなぜ好きなのかと聞かれると分からない。とにかく好きなのだ。今の恋人を好きになったきっかけも、「腕毛が信じられないくらい細くてふわふわで、ガチすすき野だから」みたいなところがある。あるなよ、とは思う。でも半分本当。

産毛談議になるところだった。触り心地がいいというのも枇杷の魅力の一つだと言える。


そして色もかわいい。オレンジ色というか、橙色というか、それにしては落ち着いた色である。とっつきやすい色であることは間違いない。枇杷は人当たりが良いのだ。


枇杷の皮を剝くのは少し面倒くさい。

一気にぺろりと剥けそうな雰囲気があるが、実際はちまちまと剥いていく。小学生の頃の私は、そのギャップに不満があった。

「この感じで剥くのに時間かかるの意味わからんだろ」と思っていた。葡萄にも同じことを思っていた。


話をまとめよう。つまり枇杷とはどういう存在なのか。


枇杷とは新学年で同じクラスになり、初めて出会う。出席番号はあまり近くないが、隣の席だったので話しかけてみた。その場のノリでわっと喋り、それから移動教室や昼休みの時間を共にすることになる。

最初は、穏やかでノリが良くてなんとなく楽しいなという印象だった。しかし修学旅行の夜、お互いの話をしていくうちに、家族構成や通ってきたコンテンツなどに関して似た環境で育ってきたということが分かる。

それからはあっという間で、休みの日にジョイフルに集まって勉強という名目でお喋り会をしたり、最近ハマっている変なYouTubeチャンネルを見せ合ったりした。学生生活のどのシーンにも枇杷がいたと思う。
大人になった今となっては、連絡をほぼ取らない。会おうよという連絡しかしないが、会えば同じ温度感でいつまででも喋れる。


私にアル中カラカラを見せてきたのは彼女だ。おーちゃんねるも私より先に見ていた。そして一緒に歩いていると突然、びじゅチューンの歌を口ずさみ始める。ライブ?みたいなものに行ったことがあるらしい。行かないだろあれ、大人一人で。


素晴らしい。

実際にこういった友人がいるとか、そういうことはない。あくまでフルーツの友達。



続いて、恋人にしたいフルーツを発表する。
これは私の好きなタイプということでお願いしたい。


グレープフルーツ


圧倒的過ぎて言うこともない。グレープフルーツに決まっている。
言ったはずだ。私は好き嫌いの分かれる人間を好きになりやすいと。

グレープフルーツは、かなりショッキングなピンクの果肉を持っているのが素敵だ。枇杷とはかけ離れた派手な色である。
派手な人間が好きなのかと言われれば、それは...…否定できないかもしれない。問題児が好きなので。問題起こして目立ってるような(それを悪目立ちというのでは)、なるべく刺激しないようにクラスメイトから気を遣われているような人間が好きだ。もう、統計的にそうなので腹を括った。認めよう。


グレープフルーツは柑橘類という、なじみ深く親しみやすいカテゴリに属している。しかし、食べてみると苦いし酸っぱいしで、好き嫌いが分かれるのも納得である。

グレープフルーツの他にも酸っぱい柑橘類は割とある。問題はこの苦みだ。

生では食えない、という感じがする。


そこをもうひと踏ん張りしてほしい。サラダに入れてみたり、絞ってサワーにして飲んでみたりすると、意外と美味しいことに気がつく。
私は脂っぽい食べ物が苦手なため、グレープフルーツの苦みが脂をさらってくれているような気もする。優しい。

そう。グレープフルーツの苦みが優しさだった時、どうするんだ。


その苦みをはねのけるのか。不器用な優しさを受け止める器が、お前にはあるか。


柑橘類という大きなカテゴリで、瑞々しく甘く、子どもからお年寄りまで全ての人に好かれるフルーツであろうとする一族の中で、不器用な彼はそうはなれなかった。なれないと思った時、一族に反してこうなるしかなかった。

果肉の色を派手な色にした。他の柑橘類にはない個性を探して苦くなった。


結果、好き嫌いが分かれるフルーツと呼ばれるまでになる。本望である。
嫌われたっていいと身につけた苦みが誰かを救うこともあった。一人救ったところで、大々的に認められるわけではない。しかし、他の柑橘類にはできないことだと、少し誇らしくもあった。

私は、そんな彼を愛したいと思う。



グレープフルーツを愛そう。みんなで愛そう。



フルーツ談義、いかがだっただろうか。
私のフルーツへの愛は伝わっただろうか。

季節のフルーツを食べるというのは非常に気分の良いことなので、気が向いたらスーパーのフルーツコーナーを見に行ってほしい。
そしてこれを機に、各々談議しながら楽しんでほしいと思う。





あー、桃食べたい。


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