生まれた町は文化の匂いがしなかった
宮崎県の片田舎に生まれた僕が子供の頃に文化・芸術に触れる機会はほとんどなかった。市内にライブハウスは1、2個しかないし、美術館もないし。劇場もない。たぶん。
たぶん、無い。
もちろんこの地域で芸術活動してる人だって居ると思うけど、
僕の生活圏内には無かった。
探しに行かないと見つけられないものだった。
その辺に転がってりゃ良かったのに。
小学生の時は芸術鑑賞会ってのが年に1回くらいはあったけど、年に1回だと芸術の触れ方もわかんないよね。ある年の演劇で「ハック。ハック〜。ハックルベリーフィーン。」っていうセリフだけ覚えてる。音が気持ち良かったから友達と真似してた。
あと、同世代の他の人たちはやっぱりテレビなのかな。でも、うちではテレビは自由に見れるもんじゃなかったし、そもそも宮崎は民放2局しかなかった。それにテレビ、ビデオは距離が遠すぎる。自分が交われるもんだとは全く思えない。
もうちょっと昔にはあったらしい、紙芝居が地元の公園にも来てくれりゃ良かったのに。
僕は図書館が好きだった。図書館はカルチャープラザという施設の中にあって、季節によっておすすめの本とかをドーンと出してたりする。
唯一、僕の生活圏内で文化の匂いがする場所だった。
本がたくさんあることで、まだまだ世界が未知のもので溢れていることに安心するし、
その本を読んでいる人間、少なからず読める人間が集まっている空間に、なんか癒されてたのかもしれない。
ある年の夏休みは毎日居たような気もするけど、同年代の子供は見なかったような・・・
「文化・芸術は人生を豊かにするものです。」
とかじゃなくって、
なんか、無いとゔ〜ってなる。
生きてて、悩んだりする時、それは自分の人生に起こっている問題に対する悩みじゃなくて、漠然と真理を追い求める類の悩みも自然発生すると思うんだけど、
それって、言語化も表面化も方法を知らないとね、ただ「ゔ〜」ってなったり、どっか行きたい、死にたい、みたいな捻れた形で表出したりすると思うんです。
苦しかったり、悩んでることにすら気付けなかったりする。
だから、文化って必要なんですよ。
その辺に転がっとくべきだと思う。
普通に街歩いてたらぶつかるもんであるべき。
自分とは全く違う文脈を持ったものにバツーン!とぶつかる体験が人生には必要だと思うんです。
違う文脈を持ってる人間は、そりゃ居るだろうけど、なんというか芸術を介すことが一番健全な交わり方じゃないかなと思うんだよ。
田舎はどうしてもその機会が少ないと思うんだけど、今はどうなんだろ。
SNSの発達とかでそういうものは解消されてきてるのでしょうか?
それとも、まだ地方の若い子たちは疎外感みたいなもの感じてたりするのかしら。
自然豊かな故郷のことは、まあ好きなんだけど、もしこっちに帰ってきたら、誰かが植えてくれてるであろう文化の種を、芽をもっと大きくすることをしたいなと思う。
けど、その為にも自分自身が成長してないとお話にならないのでまだまだ先の話なんだけど!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?