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39年間、自己否定の塊だった私が自分はよく頑張ってきたと思えるようになるまで【ポジキャリ体験談】

私は今までの人生で努力したこともないし何かをやり遂げたこともない。
同年代の人のほとんどは大学卒業後、就職して、結婚して、子供が生まれて立派に家庭を築いてる。
それに比べて私は・・・・・
人生を振り返ると自分がいかにダメ人間かという出来事ばかりが思い出されて本当に嫌でした。若いころよりは自分との折り合いのつけ方を見つけましたが根底にある自己否定の気持ちは根強くありました。

このnoteで一番伝えたいことは完全なダメ人間なんていないということです。

このnoteが私と同じように自分は駄目だなと思う方の参考になれば幸いです。自分で気づいていない、認められないだけでダメ人間ではないし、頑張ってきたことがいくつもあるはずです。

①経歴

年齢:39歳
前職:2016年~2023年5月まで化粧品メーカー代理店の事務として勤務。(メーカーと21サロンのオーナーの橋渡し、板挟みのような仕事)
職歴:大学卒業後、就活で精神的に疲れてしまい、計3か所アルバイトで働く。27歳の時にそろそろ正社員になりたいと思う。求人情報を見ると医療事務の募集がよくあるので専門学校で資格を取って就職しよう、という安易な選択により学校を卒業後2つの病院で働きました。しかし、私が経験した病院は独特でした。 私が至らなかった点も多々ありますがお医者様を頂点とするカースト社会。 1つ目の病院は医師のパワハラ。2つ目の病院は指導係の方に入社1か月で「あなた、使えない。辞めたほうがいい」と言われ、仕事中も視線を感じて振り向けばその人にすごい睨まれているような状況でした。 もうこの業界は無理だと思いました。半年ほどで医療業界にトラウマを抱えて退職しました。 ※あくまで私の体験であり、医療業界全般がそうだと言っている訳ではありません。
その後数か月、メンタル的にきつく、ニートになりました。 いい歳をしてなんという惨めな結果。父からは「お前には根性がない、仕事なんて辛くてもみんな頑張ってやるのが当たり前なんだ。」と言われました。
おっしゃる通り、反論の余地もありませんでした。 この時ほど自分が情けなくて仕方がなかったことはありません。ますます自分は価値がないと思うようになりました。
その後は、また接客のアルバイトに戻りました。その店は3年弱で結婚するタイミングでもあったので退職しました。この退職を私は「逃げ」だと思いました。表向きには結婚を言い訳にしているけれど、人手不足と人間関係がきつくなってきて3年ももたずに辞めました。
結婚後、パートで事務職を探しました。接客で不特定多数のお客様を相手にするのは性に合わないと感じていたためです。
しかし2年後、離婚。一生を共にすると思っていた人との別れのダメージはかなりありました。 仕事だけではなく結婚生活も続けられない自分にまたダメ人間の烙印を押しました。子どもはおらず、実家に戻りました。
幸い仕事は離婚を機に正社員へ登用されました。経済的に助けてもらったことはありがたかったです。 ただ、正社員になると会社の内情がより、詳しくわかります。この会社ワンマン経営だなとは感じていましたが実態は筋金入り。福利厚生、コンプライアンスとは無縁の会社でした。 現場を回しているのは私を含め3名。直属の上司1名と繁忙期に手伝ってくれるアルバイトの方1名でしたが基本は事務所で1人で働いていました。

②仕事のもやもや

人手不足過ぎて現場が崩壊寸前。上司(マネージャー)の下にもう一人サブマネージャーが必要で、会社の利益からいっても可能なのに増員はされませんでした。社長の思い付きにより事業方針は二転三転。自分は何を目標に働けばいいのかがわからない日々。
上司は、ほぼ毎日出張で多忙。会うのは月に数回。指示はあまりないので「こういうことが必要かな?」と自分なりに考えて上司の時間がある隙を狙って提案するという形でした。
月末に上司とミーティングし、出張で各サロンオーナーから聞いた意見を共有。その情報を基に翌月のオーナー会議の議題やキャンペーンを決める。翌月の頭に会議があるので月が替わって最初の2日間でアルバイトの方と一緒に体に鞭を打ち資料を完成させていました。
仕事内容としてはチームとしてやるべきなのに「個」でしか動けず、何のやりがいもない。空しさだけが募りました。転職したい。でも一般事務39歳なんて市場価値なしだよなあ。となんとなくSNSで転職に関する情報を眺めていました。 そこで、Instagramでポジウィルをおすすめしている人の投稿に出会いました。 ポジウィルがいいなと思ったのは転職エージェントではなく「どのような人生を生きたいか」を共に考えてくれるという点でした。 早速、45分間の無料カウンセリングを受けました。
【無料カウンセリングリンク】

この時の担当は津田彩花さん。上記の仕事のもやもやを相談しました。
津田さんからは 「お話をきく限りあなたが何もできないと思いません。何もできない人は7年も働けないですよ。特別なスキルがないとおっしゃいますが実際現場で複雑なExcel関数や高度な資料作りはそんなに必要とされるでしょうか。 自分が今までできたこと、喜んでもらって嬉しかったこと、を振り返り、まとめてみてはどうですか?」とアドバイスをもらいました。客観的に見てもらうとそういう捉え方があるのかと思い、アドバイスを実践しました。
受講するかお値段で迷ったのですがYouTubeや公式サイトでポジウィルの代表や社員の皆さんの話をきくと情熱をもってキャリア支援に取り組んでおられる姿が印象的でした。
いくつか卒業生の体験談を読みましたが 、前職や在職中の実績がきちんとある ように私には見える、年齢は上の人でも30代前半 、高学歴、大手企業勤務などという方のものでした。私の希望職種はかなり倍率が高いと言われる事務職で経理や総務人事の経験はなし。似たような経歴の方は私が読んだ限りはいらっしゃらず、自分はできるのだろうかと思いました。
でも、現職に留まる辛さ、転職ができるのかわからない不安を抱える辛さ。同じ辛い思いをするのなら、可能性のあるほうを選択しようと全10回のキャリア実現プランに申し込みました。


③初回面談

担当トレーナーは鬼塚りかさん。https://twitter.com/liika_xx
笑顔が素敵で、話しやすい方でした。 私はりかさんに「自己肯定感がほとんどないし、転職できる自信がなく、不安ばかりが浮かんできます」と伝えました。りかさんから「その不安は考えれば解決策が見つかるものですか?」と言われ、はっとしました。 不安が出てきたら何が不安なのかを書き出して、解決策が考えられるものに対しては思いつくだけ書いて実行する。漠然とした不安というものはその感情に支配されていても解決策はなく、時間がもったいないのでその時間にできることを書き出して実行するというアドバイスをもらいました。ポジウィルのワークをしたり、求人を探したり、趣味に没頭したり。いきなりは難しかったですが可能な限り「今」できることに集中するよう心掛けました。

④「人生理解ワーク」・・・今の自分の考え方や性格はどのように作られたのか

私の場合、困難なことは乗り越えずに逃げ出すという癖がありました。 ワークで子供のころの体験を振り返り、その理由は母との関係が大きかったとわかりました。父は年代を考えると育児は母親任せというのが当たり前でしたし、仕事で毎日帰りが遅くほとんど話す機会もありませんでした。そのため、母はよく「うちは母子家庭みたいなもの」と周りの人にも私にも言っていました。 私たちはべったりで、母は過保護、私は母親っ子すぎて母と離れることを極度に嫌がりました。 習い事もいくつかやりましたが母と一緒にいる時間が減る寂しさからすぐにやめました。 それ以外でも何かできないことがあると母にやってもらったり、手助けしてもらっていました。「嫌なこと、できないことを無理にする必要はない」と甘やかされました。
また、一人っ子なので兄弟に揉まれることがありません。家庭では過保護に育ったのに幼稚園や学校へ行くと同年代の子供たちとの集団生活があります。中には喧嘩もあります。他者と衝突するという経験がなかったので対処法がわからず困惑するばかりでした。友人もできましたが、私は社会となじむのが下手なのかと悩んだこともあります。 自分で何とかしようとしない、すぐ誰かに頼る。だから自分の力に自信がない。
この私の思考のクセを改善するため※「妨害者ワーク」を行った結果、人生最強の妨害者は「びびり」でした。

※妨害者とは?↓

⑤セルフコンパッションという概念に出会う

直訳すると「自分への慈しみ」。この出会いは大きなものでした。
りかさんから「人生で最も落ち込んだ、医療事務として働くことができなかった経験を同じように親友がしたとします。その時、親友にはどんな言葉をかけますか?」と言われました。 答えは「最初の病院はかなりクセのある先生だったし自分以外の人も先生と合わなくて辞める人が多かったよね。2つめの病院も働いて1か月で使えない、辞めたほうがいいなんて言われたら相当きついよ。そのまま働いて健康を壊すより良かったんじゃないかな?」でした。りかさんから「その言葉をそのまま自分にもかけてあげてください」と言われた時は衝撃を受けました。 医療事務を辞めた時、自分が自分にかけた言葉は「価値がない」でした。しかし、他者を仮定すると全く別の気持ちになり、労わる言葉をかけることができたのです。
また「認知の癖を変えることは筋トレと同じ」と言われました。今まで長い期間をかけて作られたものだからすぐに変わることはない。けれど効果が出ないとすぐやめてしまったらもう効果は一生出てこない。長く地道に、そして何より続けていくことが重要だと思いました。

⑥転職活動スタート・・・仕事の棚卸で見えてきた自分の強み

前職では、今何が必要なのかを自分で考えて働きました。販売現場で必要とされている知識を聞くと解決方法を自分で調べたり、セミナーを受講し、会議資料としてまとめました。事務所に一人で放置されるなら自分で動いてやるという意地のようなものがありました。 また、オーナー達との関りから傾聴、共感力が養われました。オーナーの言葉に否定から入ってはその後どんなに正論を言っても聞き入れらません。まずは相手の感情に寄り添い、共感することの重要性を学びました。なかなか個性ある職場ですがそれでも7年働けたのはオーナーの熱意、真剣さを尊敬していたからです。個人事業主で経営も現場もやりながら家庭の事情もあったり、それでも自分で決めた販売目標をやり抜くオーナー達。頑張っている人をサポートすることが私のモチベーションの源泉とわかりました。 アルバイト時代でも、その仕事に必要なことは何かを考えて知識を得て活かすことが好きでした。ワークにより私の強みは「主体的に考えて行動する力」と「信頼関係を構築し、物事を円滑に進める力」であると言語化されました。

⑦いざ、面接

初めての面接を前にして私の最強の妨害者「びびり」が現れました。どんなに今までのワークを駆使しても、次々に浮かぶ不安が全く消えません。心臓が痛いくらいの恐怖すら感じました。通っている整体の先生にまで「異常に体が強張ってるけどどうしたの」と訊かれる程です。面接前で緊張していると答えると先生は「実際の能力以上のことを言うと入社してから大変だし、面接官とあなたに上下関係はないよ。私はこういう人間ですと素直に伝える。この会社に合いそうだなと思ったら採用されるし不採用だったらその会社には合わなかっただけで次を受ければいいよ」と言われ、すごく楽になりました。
また自分の今の気持ちを書き出しました。書くことで漠然とした不安状態から抜け出せて原因がはっきりします。りかさんに言われた通り対策ができるものはして、考えても仕方がないことが浮かんで来たら求人を探したり趣味の時間にあてました。後の活動がなかなかうまくいかない時も気持ちを書き出すことはとても有効な方法でした。
一度、面接を経験すると学生時代の就活を思い出し、何度かするうちに勘を取り戻すことができました。あの異常な不安が嘘のようでした。
実際の面接では、ほぼ雑談だけで終わる、想定内の質問が中心、事業内容を説明されこちらからの質問への回答が主で面接官からはあまり質問されない、面接官が明らかに私を見下した言動をしてくるなどの経験をしました。見下してくる企業に入社などあり得ないので「この面接官は自分が偉いと勘違いしているのか、こういう面接方法なのか。世の中にはこういう人もいるな」とダメージを受けずに済みました。学生時代の就活だったら落ち込んだかもしれませんが、働いてたくさんのタイプの人と接した経験により多少、精神が鍛えられたようです。

⑧トレーニング終了

転職先が決まるまで続けたいという気持ちもありましたが、今後の人生にずっとトレーナーがいてくれるわけではありません。ワークで得た力や気づきをもって今後の人生は自分で進んでいかなければなりません。
まだ在職中で、もやもやが溜まってきたときは 今の職場で何が苦しかったのかを再度、振り返り、書き出しました。退職を伝えたとき、上司からは「なんで辞めるの?」と心底不思議そうに言われました。訊かれたものの、本気で知りたい様子でもなさそうで悲しくなりました。帰宅して紙にバーッと感情を書き出しました。 たくさんの理不尽や空しさ、腹立たしさを紙にぶちまけました。7年間の思いがあふれて涙まで出てきてしまった自分に驚きました。涙とともに負の感情から解放されました。「この会社はもう私がいるべき場所ではない。次のステップに進む時なんだ」とすっきりしました。 オーナー達に退職を伝えたときは多くのオーナーに感謝や応援の手紙を頂き、とても嬉しかったです。私の仕事は役に立っていたんだな、真面目に働いた証拠だ、偉いぞ自分と褒めました。
全10回の面談の8回目のときに、りかさんから「1か月ですごく表情も変わりましたよ」と言ってもらえたことも自信になりました。最後の面談で転職が決まりましたと伝えられれば良かったのですが焦っても仕方がありません。最後の面談の時はすっきりした笑顔で、初期の迷える子羊のような不安でいっぱいの顔はもうしていませんでした。

⑨転職先が決まる

私は5月末で退職をしました。転職先が決まってから退職交渉というのが基本であることを知らず、先に退職を伝えた自分をボコボコにしたくなりましたが、もう仕方がありません。気合を入れなおしていた6月初旬に初めて内定が出ました。入社するかどうか迷いました。事務というニュアンスが強かった求人なのですが面接をしてみるとカスタマーセンターの要素が大きかったこと。面接官が「クレームはほとんどなく、マニュアル通りやればいいのだけれど電話対応業務に馴染めず、一定数の離職者はどうしてもいる」との言葉が非常に気がかりでした。無職状態での初内定。これを断ったら次に内定が決まるのか?と葛藤はありつつも内定は辞退しました。転職することが目的ではなく長く働ける職場に転職することが目的だったからです。
その後、一度気が抜けたのか生活リズムが乱れ、このまま一生無職なのかという妨害者「びびり」の極端思考の登場で精神が不安定になりました。まずいと思い生活リズムを整えました。妨害者の思考から生まれる自分の気持ちをすべて書き、客観的に考えてそれは事実か、解決策は何かを書き出しました。そして応募の数を減らし趣味の時間や、友人と出かける時間を増やしました。 これで一度リセットし、また活動を本格的に再開しました。ポジキャリの受講生同士のTwitterグループがあり、励みになっていたのですが、就職が決まらず苦しいこの時期も、同じく頑張っている人がたくさんいるんだと、とても励みになりました。紆余曲折、感情のジェットコースターがありながらも6月下旬なんとか働きたいと思える企業から内定をもらい、入社することに決めました。 4月から6月の期間で66社に応募し、11社の書類選考通過、2社からの内定という結果でした。

⑩ポジキャリを通して感じたこと~今後

心強い伴走者とともに「どうしたら自分の望む人生を送れるか」を今までの人生で一番真剣に考えた時間でした。 一人で転職活動をしていたら自分に自信がなく転職の軸を考えず、とにかく転職先を見つけなきゃと迷走したと思います。 いつも的確で具体的なアドバイスをくださった、りかさんに感謝です。 踏み出すまではこの会社にいたら先が見えな過ぎて怖かった。それでもどうにか、一歩を踏み出してみたら新たな関りが生まれました。 完全なダメ人間と思っていた自分にもトレーニングを通してこういう頑張ったことがあったんだ、偉いよ自分と思えるようになりました。客観的に見てもらうというのはとても大事なことでした。私は手本になるような立派な人生を歩んできたわけではないけれど、自分なりに時に怠けたりしながらも頑張っていました。
なにより、自分の意志でやると決めた転職をできたことはとても大きな自信になりました。
そして転職活動をしてみて改めて自分は周りの人に助けてもらっていると気づきました。トレーナーをはじめポジウィルの皆さん、心配をかけてしまいましたが応援してくれた両親、友人、整体の先生、元の職場でかかわった人達、同じくポジキャリ受講生の皆様などなど。
自分が一人ではないから頑張れました。感謝でいっぱいです。

転職先が決まり、ここからがスタートです。まずは、仕事を覚えること。そして力みすぎないこと。 さっそく「びびり」も登場し「新しい職場はブラックじゃない?人間関係も含めてちゃんとやれるの?」と言っています。
それは今考えてもどうしようもできないこと。実際に働いてみて問題が起きたときに解決策を探していけばいい。
「びびり」のしつこさには、うんざりしますが、長い付き合いです。認知の癖を変えるトレーニングを継続していきます。
プライベートでやりたいこともいくつか出てきました。 一歩踏み出した自分の勇気とポジキャリで得た力を無駄にしないよう、焦らず歩いていこうと思います。

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