こんなに優しいのに、、、母の生い立ち
子供の頃の事を引きずってはなんだが、両親と私との現在の関係はというと、、、
良好なのだ。
両親の住む自宅から車で20分弱の所に住んでいるため、息子や夫と訪れ良く皆でご飯を食べる。
父も母もそれはそれは息子を可愛がり、息子にとっても優しいじいじとばあばなのだ。
私にもとても良くしてくれる。
行けば食事の支度をしてくれ、帰りは「これ食べる?」と言いお土産を持たせてくれたり。
時々何かで褒められることもあるが、褒められなれないから身体が拒絶し顔が強張る。
母にだけ素直に喜べないの。
あぁ、子供の頃にもう少し寄り添ってもらえたら、こんな風に感じることなんてなかったのにと思う。
そんな母の生い立ちを簡単に。
母は東北地方出身で、出稼ぎする両親のもとに生まれた。兄弟は多く彼女は真ん中。
普段両親が留守にしがちの為、一緒に住んでいた祖母(私から見て曽祖母)が子供達のお世話をしていたようだ。
家計も貧しく洋服、ランドセルや制服までほとんどがお下がりで新品を買ってもらったことなどないそう。
母の代でお下がりの寿命が来て、下の子達からは新品が買い与えられたそうだ。
母が言うには祖母(母の母)は母が生まれる時、上が女の子だったこともあり、周りから次は男の子が生まれると期待されたそうだが、実際生まれてみたら母だったそうだ。
加えて他の兄弟は自分の母親と一緒に寝られるのに、母は一緒に寝かせてもらえず寂しい思いをしたそうだ。
だから祖母は母のことを好きではなかったのかもしれない、とも言っていた。
昭和の、しかも、貧しい家庭で兄弟も多い。
子供たちが悪さをすると物差しや箒の柄でお仕置きしたそうだ。
そして自分の子供を褒める親はバカ親だとよく言っていたそう。
ひと昔前までは今より子供を厳しく育てる事が一般的で、人様の前で褒める親なんてあまりいなかったんじゃないかな。
それに当時は高度成長期だ。
「おかしいと思わなかったの?」
母に尋ねたら、
「そういう躾が素晴らしいと思っていた」と。
それなら納得せざるを得ない。
母は私を物差しでよく叩いた。一度ではあるが麺棒でも叩かれた事がある。
今こんなに優しいばあばで私のお母さんなのに。
そして天然で面白い。
正直私は戸惑っている。
今の母を否定したくないからだ。
だから私はここに記す。
過去に囚われている自分が前を見るために。
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