広島旅行③

8月12日、早朝にネカフェを後にした。

洋服の青山が見える方向、約7キロ先が爆心地

立体駐車場から、爆心地の方向を見る。キノコ雲は恐らく、ここからも高く聳え立っていたのだろう。この後、その中心地を巡ることになる。


路面電車の駅
色違いの線路


ネカフェを後にして、向かったのは本川小学校である。
被曝遺跡の一つである。ここの場所は教えられて知った所だったが、実際に被爆地のパンフでも目立たなく示されていたことからしても、訪れる人は少ないのかもしれない。


本川小学校前

被曝遺跡は、小学校内にある。被曝した校舎を、戦後も使っていたということだが、老朽化もあり、一部だけ遺して改装したということらしい。その一部が平和資料館として、希望すれば見学ができるようになっているのである。
ただ早朝にきた為に、この時間帯には周囲を周るのみだった。その中で思わぬものに巡り合った。

吉川氏から寄贈された被曝遺跡

なんと本川小学校に、自身が広島に行くキッカケになった吉川氏寄贈の被曝遺跡があったのである。
赤茶色の所が熱線で焼けたのだろう・・・この手水鉢が、人生で初めて見る被曝遺跡であった。
本川小学校の資料館は、午後にまた行くことにし、そこから原爆ドームの方向に向かう。
その途上のことである。

本川小学校近くの維新のポスター

自身は思わず、ギョッとしてしまった。何より、この光景の不釣り合いぶりに、である。
核シェアリングを言っていた維新のポスターがよりによってこんな所になのか・・・自身が広島に来た不安の面を、この光景で可視化されたと思ったのである。
駅西エリアで見た、あの折り鶴の札、本川小学校のある番地・・・勿論、地元民ではないから、この候補者のことは知らない。また政治の言論は、自由である。何処にポスターを貼ろうが、合法でもあろう。
しかし自身はこの光景にこそ、今の我が国の実態を垣間見たと思ったのである。これは時代が変わり意見も変わった結果だけと見るべきなのか?それとも過去の歴史の忘却が為せることなのか?
自身は後者の方が現実のように思えたのである。

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Twitterからの転載

自身は、ネトウヨで有名な橋本琴絵を想起した。
正直、自身は橋本氏の経歴を疑っていた。幾らなんでも、被爆地の出身者が、核武装を唱えるのは飛躍し過ぎてしまっていると思っていたからである。もし本当だとしても、論壇向けのものであり、要するにビジネスが主ではないか。そう考えていた。
しかし、その見方は甘かったのだろう。別の機会に述べるが、そもそも我が国があの十五年戦争で加害の主体であったという単純なる事実を、否認してきたツケが現在に回って来てしまっているのである。
それは戦争は悲惨だと、言うだけでは足りなかったことなのである。大本が加害性の否認であり、維新のポスターも橋本琴絵のことも、恐らくはそこから見れば枝葉の現象に過ぎないのだ・・・

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自身は暗澹な気分になり、次に原爆ドームの方角を目指した。

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