オリジナルというもの


 三宅香帆さんの記事を読んだ。
 芦原妃名子さんのことは、まずもって痛々しい。
 私は作詞作曲をしていて音楽配信システムに登録して、世界中に配信はしている。一応作家の端くれである。
 
三宅香帆さんや、蘆原日名子と比べられることもない、マイナーな存在ではある。がオリジナルということに関して、記事を読んで少々意見を書いてみたくなったので、書くことにした。
 私は、中学生の頃に少年チャンピオンという漫画雑誌に連載されていた、手塚治虫先生の描いていた「ブラックジャック」という作品が大好きだ。それは、戦慄を覚えるほどの名作であった。
 医療系の漫画にしろ、ドラマにしろ、おおよそはハッピーエンドで終わるのが当然であろう。患者さんが治って退院し、めでたし、めでたし。で終わっていいハズなのだ。
 がしかし、ブラックジャックは違う。必ず患者が助かる物語ではない。手塚治虫先生は現在で言うところの「大阪大学医学部」を卒業なさっており、医師免許を持っておられた、と聞いている。ということは、インターンも経験しておられるはずだ。したがって、病院で亡くなられる患者さんも当然診てこられたはずである。だからこそ、亡くなる患者さんのドラマも描いたのであろう。それゆえの名作なのだと私事ながら推測している。
 その名作、アニメ化されたり実写化されたり・・・。でも、原作を超えた!と思われるものに出会ったことはない。というよりは、確実に劣化しているようなものにしか出会っていないように思う。ユーチューブで見たものはまぎれもなくそうであった。しかも、悪いことに先生のご子息の指示で編集されていたようである。残念であった。
 つい先日はAIを使って新作を作るというニュースも流れた。申し訳ないが、AIを使って新作を作るくらいなら、ブラックジャックでなくても新しい医療漫画、アニメでよかろう。なぜそこまでこだわるのだろう?セクシー田中さんもそうだ。原作とは違う演出、脚本でいくなら、演出家や脚本家が全く新しいものを創造すればいい。なんで、自分で作り出せないものを作りだすことができないのに、作り出している人をないがしろにするのか・・・。
 曲も、原曲というものが当然存在する。が、楽器はともかく、歌は、その人のキーというものがあるので、それに合わせて転調する場合がある。が、作った側からすれば、ありがたくないのは否めない。メジャーマイナー合わせていくつかのキーというものが存在するが、原曲でそのキーを選んだのは、歌詞やメロディがそれに合っているから選んでいるのだ。もちろん、大幅にイメージが崩れることはない、であろうが、原曲キーから変えるのは…。
 青は藍より出でて藍よりも青し、という。技術的にはレオナルドダヴィンチのモナ・リザにしろ、ゴッホのひまわりにしろ、模写のほうが素晴らしい作品が作り出されるのかもしれない。だが、「感動」という観点から鑑みればどうであろうか。知らなければそういうことはないのであろうが、知っていた場合は、やはりオリジナルを見たい、ということになるのではなかろうか。そうでなければ、オリジナルに意味はない。オリジナルを作り出している者はみなファーストペンギン。その者の過去の努力が現在を創り出しているのだ。それに敬意を示せぬものは、物まねをすべきではない、と私は考える。

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