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神さんとのお仕事78「我慢の壁」
「我慢の壁を越えなさい」
最近の日本の思考の傾向は「我慢をし過ぎない」ことが主流になっているのですが、その加減が「自分にとって都合のいいし過ぎない」になっているように感じます。本当の楽を手に入れるには「我慢の手前」でやめるのではなく「我慢の先」にいくことが大事だと神さんは言われます。
とはいえ、「すべき我慢」と「しなくていい我慢」の見分け方は難しいと感じられる方は多いと思います。二つの「我慢」にどのような差があるのかは人それぞれなので表現するのは難しいですが、簡単にお伝えできる部分だけ書かせてもらおうと思います。
「すべき我慢」とは、自らの弱点を克服するために必要な我慢になります。自分の心の弱い部分を克服する時には相応のストレスが必然としてかかってくるのですが、それは自身の成長のために必要なストレスなのでそこを乗り越える「我慢」はすべきものだと考えてください。
「しなくていい我慢」とは、自らの見栄や意味のない世間体を気にした行動から発生する我慢です。まわりの人より自身をよく見せたいがための行動から発生するストレスは、心の成長にも弱さの克服にならない「無駄なストレス」になります。無駄なストレスでは心の成長は一切しないどころかストレスを生み出している原因となる行動を変えない限り増幅し続け心の成長を妨げるものになるので、このような「我慢」はしなくていいものだと考えてください。
神さんはよく
「ちゃんとした我慢をしていれば、しなくていい我慢はすぐにわかる」
と言われます。ちゃんとした我慢を続けると必ず「我慢の壁」というところに行きつきます。その壁は我慢のゴール地点みたいなもので一番強くストレスがかかってくる場所なのですが、その壁を超えることができたら「我慢と楽のバランスが取れた場所」という「ストレスも楽もない力の抜けた中庸的なスタンス」を手に入れることができます。それが神さんが言われる「本当の楽」だと思ってください。人は「本当の楽」を手に入れることができると、しなくていい我慢は「心地のいいバランス」を崩すことになるとわかるのでしなくなるそうです。
最初に書いたように、最近の日本では「すべき我慢」まで「しなくていい我慢」に含めることによって、「してはいけない楽」にもれなくついてくる「無駄なストレス」を溜めてしまっています。新自由主義という「ご都合主義」は自分を律することができれば強い武器になりますが、できなければ自らを傷つける諸刃の剣になります。
「生きる」ということは陰陽清濁混ぜ合わせて受け入れることが大事だと思います。いいことだけ、楽なことだけでは本当の幸せは手に入りません。しっかりと「すべき我慢」と「しなくていい我慢」を見極め、神さんが言われる「我慢の壁」を超えた先にある本当の楽を手に入れてみてください。