神さんとのお仕事77「知るということ」
「何でもかんでも教えてはいけない」
最初の頃、神さんは僕がお客さんにアドバイスをお伝えする時に「大事にすべきこと」ということでこういうことを言われました。
これから先のことを知ることができれば対処はできますし安心も増えると思われる方が多いのですが、実際のところは
「知ってしまったから、行く道が変わる」
というとても厄介なことが起きます。何が厄介かというと
「今までやってきた課題への努力が無になり、
新しい課題を最初からやらないといけない」
ということが起こるからです。もし課題に対する到達点が今の時点で「あと少し」だったとしても、結果や課題をクリアする方法を「知ってしまった」ら強制的に次の課題に変更されてしまいます。なぜなら
「クリアの方法を知ってしまった時点で
課題から成長をすることはなくなる」
からです。課題がどれだけ終わり近くでも「知ってしまった」らそこで終わりなのです。その邪魔をしてはいけないので、知ってはいけないことは絶対にお伝えしないようにしています。もちろん必要であるお話は全てお伝えしていますので安心してください。
ここまではお客さんへのお話。
これが「対自分」になると話が変わってきます。もちろん自分のことは何も見えないので自分のことは自分で決めることには変わりはないのですが、「お伝えする」というお仕事の特性として「言葉の重み」が大事になってくるので、その言葉の重みを出すために
「お伝えをしたアドバイスの一部を自分でも体現する」
ということをしないといけません。
贅沢な生活をしている人から「質素が幸せの近道」と言われたり、人に迷惑をかけて続けている人から「人間関係は大事」と言われても心には入ってこないと思います。お伝えをする人の「現状」が「言葉の重み」を決めるからです。併せてお伝えすると、お伝えをする人には「今まで何をやってきたか」ではなく「現状」が求められます。今までどれだけ善い行いをしていたとしても、現在に善い行いをしていなければ言葉に重みが乗らないからです。
これらを踏まえて、お伝えをする人の「知る」のお話をさせてもらいます。
たくさんのお客さんに様々な形でアドバイスをさせてもらうと、その度に「知る」という数はそのアドバイスが自分に関係がなくても増えていきます。アドバイスをしているだけなので「他人事」と思われる方もおられると思いますが、神さんのお仕事ではそうはなりません。
「知った」のならばやらないといけないのです。
様々な形のアドバイスをさせてもらうことで他の人より多くの「回避方法」や「乗り越え方」や「頑張り方」を「知った」ことになるので、常に「やるべきこと」と「やってはいけないこと」などが自分にも蓄積されていくことになります。
お伝えをするお仕事に「自分は別」はないのです。
もちろんお客さんにアドバイスをした「やるべきこと」よりは範囲は狭いで気持ち的にはそんなに負担はないですし、「知れた」ことによって回避できていることがあるので良し悪しでいうと「±0」になっていると思います。
もう増えることには慣れたので、全然大丈夫ですけどね(笑)。
飛躍する話になりますが、大人という存在はたくさんのことを「知っている」存在になります。知ったうえでの振る舞いが面倒だからと「知っていても知らないふり」をする人が老若男女関係なく多くなったように思います。大人という存在が軽くなっているのはそのせいではないかと思います。
「我慢、利他」
それらを知っている大人が相応の振る舞いを少しでもすることができれば、多くの人がもっと楽になるのになと思う今日この頃です。