生まれてきた使命
「自分がどんな使命を持って生まれてきたのか知りたい」
こういう質問をよく受けるのですが、実はこれは「知ってはいけないこと」の一つだったりするのでお答えすることができません。
「人はだれしも使命を持って生まれてくる」
こうおっしゃる同業の方がよくおられます。確かに使命はあるのかもしれないですが「人としてやるべきこと」がたくさんありそちらの方が大切で、「本当の使命」があっても神さんは必要が無いので教えることはされません。知ってしまった本当の使命はその方にとって何の成長にもならないからです。
「このやり方が正しいのか、間違っているのか」
一つ一つのことを暗中模索しながらすることで人の心は成長し深みが生まれます。本当の使命を知って「これで大丈夫」ということをやっていても深みは生まれないどころか、「自分は正しいことをやれている」という安心感でそれ以上の頑張りをしなくなり成長ではなく退化していくこともあるのです。「これでいいのか」と考えることは不安や恐怖が伴いますが、その不安や恐怖と向き合い少しでも克服することが神さんが考えておられる「成長」に繋がるのだと思ってください。
自分が生きていく中で必要か不要かは関係なく、生きているすべての場面において「使命」があると僕は考えています。自分が輝くためだけの「都合の良い使命」などは存在はしなくて、もっと泥臭い地味なものが「使命」になっていると思わされる場面が多いからです。もっとわかりやすく書くと
「自分が喜ぶのではなく、誰かを喜ばせること」
が使命のほとんどで自分のための使命はないと言っても過言ではないと思います。加えて書くと「本当の使命」はあったとしても「あなたはこれをするために生まれてきた」などと言う「仰々しい使命」などはないように思います。自分の魂を周りの人のおかげで磨き成長させてもらえることに感謝し生きることが使命よりも大事なことではないかと思ってください。
僕も今は神さんとのお仕事をさせてもらっていますが、神さんが「もういい」と言われたら終わりのお仕事だと思っているので(やるからにはやれる限り一生懸命がやらせてもらいますが)このお仕事を「自分の生まれてきた使命」だとは考えていませんし「大仰に考えるな」とも言われています。だからこそ僕自身の使命も社会生活の中にあると考えているので、自分は特別だからしなくていいことはなく皆さんと同じように過ごしています。
使命と書くととにかく仰々しくいいものに見せられがちですが、大きな使命を持って生まれた人は皆無だと思ってください。大きなことをやり続けているいる人のほとんどが「努力をしているうちにそこに行きついただけ」の人で他の人と「持って生まれた使命」に大差はない普通の人なのです。ただ、誰もが生まれながらに持っている使命が一つだけあります。それは、
「同じ時代を生きている人と助け合う」
ということです。
これが一番簡単なようで、一番難しい使命だと僕は思っています。