見出し画像

神さんとの日常「最低限に感謝」

「衣食住が足りていればそれでいい」

神さんは「幸せの基準」について話をされる時に必ずこう話されます。最低限の衣食住が足りていれば人は生活ができるのに、最大限が揃っていないと幸せになれない人が本当は幸せな環境にいるのに「幸せになれない人」になっているように思います。

これはいつも書いているのですが、手元にある幸せに感謝ができない人はどれだけ幸せが増えたとしてもそれを享受することができません。すぐに「もっと上の幸せ」が欲しくなるからです。現状の幸せを楽しめない人はどれだけもっと上の幸せを手に入れたとしても、それ以上もっと上の幸せがすぐに「本当の幸せ」になってしまうので幸福感を得られないのです。

これは「ストレスをためやすい人」にも同じことがいえると思います。

ストレスをためやすい人は自分の環境が「常に最上」でないといけなくて、最低限に対して感謝ができていないことが多いと感じています。自分のやりたいことやってほしいことが「最優先」になっているのでストレスがたまるのです。付け加えると「常に楽しい場所にいたい人」も同様の兆候があると思います。楽しい場所にいることがノンストレスだと思い込んでいるので、現状が楽しくないだけで十分な環境でもストレスになってしまっているのです。

「常に現状が分相応だと思って生活をしなさい」

神さんは「心を穏やかに生きたい」と相談される方にこう言われます。自分の努力結果が現状に反映されると考えると、物足りない現状は誰のせいでもなく「自分が産み出した虚像」が不満やストレスを生み出しているだけなのです。虚像とは「もっと上の幸せが本当の幸せ」と思う心のことだと思ってください。

これも常に書いていますが何事も世間は「等価交換」なので、現状は「自分の行いの現在地」なのです。もっと上の幸せを手に入れるには現状よりもっと「何か」をしなければいけません。その「何か」が努力なのか、感謝なのか、環境を変えるのかは人それぞれなのでわかりませんが、幸せを常に感じて穏やかに生活をされている人は「常に何か」をしておられるように思いますし、穏やかに生活されていない人は「常に現状の不満」を口にされているように思います。これ以上「もっと上」を求めるのであれば相応の努力や痛みを強いられることの覚悟は必要なのに、不満を持たれている人のほとんどにその覚悟がなく「他力本願」で幸せを手に入れようとしているように感じます。

常に電気がつき、水道をひねれば飲み水が出て、ガスも使え、大きな争いも戦争もないこの国で生活ができることに感謝ができれば心の穏やかさは自ずと手に入るように思います。「今あることの幸せ」を感じることができれば、意味のないストレスによって無駄に振り回される時間は格段に減ります。

「吾唯足知」
「日々新たなり」

現状に対して感謝をし、不足に対して努力をする。これの繰り返しが幸せに生活をするために必要なことではないかと僕は最近は思っています。

最低限に感謝をすることができれば、それ以上の「もっと上」にいきつく道すべてが幸せなものになります。逆に最低限が「不足」のものになれば、それ以上の「もっと上」にいきつくまで幸せを手に入れることができません。どちらが良いかは人それぞれですが、僕は前者の方がずっと幸せを感じれて楽なように感じます。

いいなと思ったら応援しよう!