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人との比較をやめる前に

「他人と自分を比較しないほうがいい」

自己啓発本などではよくこういうことが書かれていると思います。確かに他人のいい面と自分を比較したとしても、最初から比較対象にはならないので意味がないということは正しいことなのでここでは触れません。しかし、その言葉を何回も読んでいるはずなのになぜ人は他人と自分との比較をやめないのでしょうか?今回はダメだとわかっていても「なぜ比較がやめられないのか」についてちょっと違った視点から書いていこうと思います。

比較をやめられない理由の答えから先に書くと、このnoteでよく書いている「陰陽」が大きく関わっているからです。「比較に陰陽?」と思われる方も多いかもしれないですが、比較をすることに陰陽がかかわっているのではなく「比較の使い方」に陰陽の法則が関わってきているのです。

先に書いた自己啓発本の「他人と自分を~」の話は、「他人」と「自分」を比較することで「自分の存在を卑下しない」という視点で書かれています。これは

「自分を陽の場所に置くための考え方」

としては間違っていません。しかし、この考え方に陰陽の考えを当てはめてみるともう「一つの考え方」が必要になってきます。それは、

「他人と比較して自分をよく見せない」

という考え方で、「あの人の方が自分より悪い」「あの人よりは自分のほうがまし」などという考え方のことになります。なぜこの考え方もしないほうがいいのかというと「人を陰に置くことで自分を陽に置く考え方」だということが一つと、もう一つ陰陽的に

「人を陰に置いた代償として、自分も同じ陰を経験することになる」

という「対象の存在」が出てしまうからです。対象の存在とは「光が照れば影ができる」ように「陽を使うことで生まれる陰」または「陰を使うことで生まれる陽」みたいなものだと思ってください。

人との比較をやめられない人のほとんどが「他人と比べて自分をよく見せる」ことをしているので、その代償としてついてくる「自分より優れた人との比較」が目についてしまい苦しんでいるだけなのです。そのサイクルをやめることができれば簡単に人との比較はしなくてよくなるのは自明の理だと思います。神さんはよく

「大きな光は大きな影を作る」

と言われます。自分をよく見せるために光を強くすればするほど影という「自分の悪い部分」が目立ってしまうので、多くの人はそれを隠すために「自分を卑下」したフリをしてごまかそうとします。そのことに関して神さんは常に二つの道を示されます。その一つは

「光を小さくして、影を減らしなさい」

自分の陽を小さくすることで、生まれる陰を小さくして悩みを減らすやり方です。二つめは

「陽を大きくした代償に向き合って努力し続けなさい」

やりたいことの何事にも努力をして、何をしても周りが気にならない環境を自分で作るやり方です。

一つめの道は「欲が強すぎ周囲に迷惑をかけている人用」なので、ほとんどの場合で神さんは二つめの道を示されます。やりたいことがあれば突き詰めて頑張っていれば周りのことは何も気にならなくなるのと同時に、よっぽどでない限り何事も自分で解決をする方法が身につけることができます。

「ここまでやった」

という心の礎ができると人は大きく心が揺らがなくなるのです。そこまでいくまでには欲やストレスなどいろいろなものを克服しないといけないのですが、それができた先にある

「陰陽の幅の少ない世界」

に行き着くことができれば心の揺らぎが少なくなるのではないかと思います。

僕も行き着いたことがないのでわかりませんが(笑)。

ここまでをまとめると、

「他人との比較をやめる前に、自分をよく見えるために人を利用することをやめなさい」

ということだと思ってください。陰と陽は絶対に離れることはありません。陰陽は必ずついて回ることを肝に銘じておけば、何事の選択も楽にはなりませんが少し容易になると思います。それと同時に自分の心を苦しめている原因を探す時に、周囲を見るのではなく自身をまず見ることができれば心のありようや持ち方は変わってくると思います。


最後にちょっと追加です(笑)。

人の批判はダメですが、人の悪いところから学ぶことは大事ですのでそのあたりは区別して考えてくださいね。

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