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沖縄タイムス『吃音と生きる』を読んで


こんにちは、AsianSTです!😊


今回は吃音についてです。

沖縄タイムス『吃音と生きる』を読んで

をテーマにお届けします!


この内容は、先日、沖縄タイムスで

吃音特集『吃音と生きる』を読んで、

私が思ったことについてです。


『吃音と生きる』は、吃音者が生きやすい社会というものを

つくっていくため、吃音当事者のさまざまな体験からの

葛藤であったり、その中から得られた気付きや生き方、

といったことが中心に書かれています。


これを読んで思ったことは、以前からこういった

”吃音当事者の体験や思い”といった内容は

様々なメディアで取り上げられていたように思うのですが、

「まだまだ、吃音者が生きやすい社会にはなっていないんだな…」

ということです。


そして、一口に吃音といっても、吃音者によって、言葉の誤り方も、

状況による症状の変化の仕方も様々であることや、

吃音者の環境、吃音のとらえ方や、今後どうしていきたいかなど

考え方も皆違い、吃音者が100人いれば100通りの吃音者の姿がある

ことを改めて感じました。


そして、多くの吃音者は相談できる場がなかなか見つけられず、

苦悩しながら、自分で何とか解決しようと行動せざるを

得ない状況も少なくないことも感じました。


吃音者が生きやすい社会にするには必要なことは

①吃音者に接する人たちが吃音者への理解をより深める

②吃音者への支援の多様化

が重要と私は考えています。


特に日本では

「吃音を治療するかしないか」という2つの選択肢さえも十分に

確保されていない現状があります。


これは、「全国的にも吃音を治療できる場が非常に限られている」

ことから「治療をしない」選択をせざるを得ない吃音者が多数

と想定されるからです。


吃音には、

①話し始めの音の繰り返し(そ、そ、そーだよ)

②話し始めの音の引き伸ばし(そー――だよ)

③話し始めの最初の1音につまるブロック(…、…、…そうだよ)

といった症状が知られています。


一見すると、皆同じ症状を示しているようにも見えますが、

①だけをみても、その症状は様々です。


例えば、「さ行」だけで症状が多く出る人もいれば、

「あ、あ、あ、ありがとう」のように

母音でも症状がみられる人もいます。


また、場面によっても、話す相手によっても、

時間によっても症状の出方は変わってきます。



これは、蓋然性(がいぜんせい)と呼ばれる

吃音特有の症状で、他の言語障害とは大きく異なる部分で、

吃音の評価・治療が難しい要因とも言われています。


吃音の本質は『意図的言語の障害』と言うことができます。

つまり、言葉に意識が向いていない時は、

結構すらすら言えているのに、自分がいざ話したい時になると、

ことばが出なかったり、言いはじめの音を繰り返してしまったりする、

という状況がみられるということです。


吃音治療の場を作ることは、吃音に関わる専門家の

重要な課題(私も含めて)と受け止めています。


私自身も吃音治療も行う言語聴覚士として、

吃音当事者と向き合っていきたいし、

さらなる学びを進めていきたいと思っています。


今回も最後までお読みいただきありがとうございましたm( _ _ )m

また次回お会いしましょう(*^▽^*)!



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