30、きれいな思い出
母の一周忌に行ってました。
普段、コロナで会えない父と会えて幸せでした。
父は、お焼香を上げるとき、もう、認知機能の下がってたせいか、わけがわかっていなかったようです。
ただ、普段、母が亡くなったことを忘れて暮らしているせいか、亡くなった母のことを思い出し、少し涙目になっていました。
失語症で、右片麻痺、しかもコロナにかかって以後は、自分で車イスでウロウロすることもなくなりました。
考えることも少ないんでしょう。
ぼくのことも、覚えてるのかどうか。顔だけは覚えてるようですが、名前が出てこないようです。
でも、寂しいことはありませんでした。生きててくれさえすればいいのです。生きてるだけで、百点満点です。
叔父さんが、介護施設の送迎を仕事にしてくれているおかげで、介護タクシーを呼ばなくても、伯父さんが父を車に乗せてくれました。
伯父さんの車で、父の施設へ行きます。姉もついてきました。
姉を送ってから、ぼくのうちまで送ってくれました。伯父さんと二人で、ドライブしました。
伯父さんは、自分で書いたという小説(出版はしてない)を貸してくれました。
ぼくは、普段、ここで書いた文章をLINEなどで、伯父さんに送ってます。
「お前、そろそろ、お母ちゃんやお父ちゃんから、離れなあかんで」
「ええ。でも、お母さんのこと忘れんの寂しい」
「なんも、忘れる必要はないねん。胸にそっと持っとくだけでいいねん。いつまでも、お母ちゃん、お母ちゃん、言うてたらあかんで」
そんなことを言われてました。
まあ、それはそうなんですが、ぼくも、昔と比べて、だいぶ母のことを忘れてはきています。特につらかった思い出なんてものは、ずいぶんと置き去りにしてきました。もう、いい思い出しか残ってません。
そんな、きれいな思い出を忘れるなんて、ぼくにはできない。きれいな思い出は、いつまでもきれいな思い出のままです。
ぼくを成長させたところも、いくつかあります。時が来れば自然と、ぼくのなかに染み込んでいくはずです。
って、あまり、普段そういう、きれいごとはひとに話さないようにしているので、「そうかなあ」とその場は、受け流しておきました。伯父さんも、お兄ちゃんも、ぼくも、いつか終わりがやってくるでしょう。
でも、子供のいないぼくは、こうやって、寺のお世話は、誰がしてくれるのかな、なんて不安を抱えつつ、来年は、三周忌、五周忌と、時は流れていでしょう。その頃、ぼくは、どんなことをして、どんな暮らしをしているのだろなあ。