129、【小説】風鈴
晴は、今年の十月で、四十二歳となるが、まだ、結婚もしてないし、子供もいない。三年ほど前から、母親の介護生活をしていた。
今日は、週に一回の、母親のデイサービスの日だった。母親を、トイレの終わりにジャージへ着替えさせてから、またベッドに向かわせる。
「今日、デイサービス休ませて」
母親がいった。デイサービスを嫌がってばかりいるのだ。
先週もこんな感じで休ませた。だから、今週は行ってもらわないと困る。そこに、電話がかかってきた。
「こんにちは~。あと二十分くらいでうかがわせてもらいますね」
デイサービスからだった。
どうしよう、あと二十分で来ちゃうよ~。晴は、母親の手を引っ張って、無理やり外へ連れ出した。
外は、雨上がりのすがすがしい光が差していた。
「ほらほら、お母さん。言ってる間にデイサービスの車が迎えに来るからさ!天気もいいし、今日はデイサービス日和だね!」
「晴、着いてきて!」
「えー、またー?」
母親は、倒れてからというもの、人付き合いに臆病になっていた。だから、ことあることに、晴をデイサービスへ一緒に同行させるのだ。
そんなことを言ってる間に、送迎に車がやってきた。
「山本さーん。行きましょうかー」
母親は、晴の手を引っ張る。仕方ない、着いていくことにした。
施設に着くと、晴たちの車は一番乗りだった。どこに座ろうか。池上さんという方の斜め横に座る。池上さんは、人柄もよく、晴たちとは相性が合い、仲のいい間柄だった。
「お母さん、先週は休まれたようだけど、今週は来たわね。えらい、えらい」
池上さんが微笑んで話しかけてきた。
「とんでもない。ほら、見ての通り、またぼくと同行ですよ」
ふと、前に置いてあった平べったい箱に目をやった。箱の中には、見えるように、まだたんざくに飾ってない七夕の願いの書いてる長方形の紙が乱雑に入っていた。
リンリン……
風鈴の音が心地よく響いていた。
池上さんが、少し珍しい願いを見つけた。
『今の幸せがずっと続きますように……?』
「まあ、これ、よっぽど幸せな人が書いたのね」
「でも見てくださいよ。ハテナマークがついてますよ」
「あらほんと、面白い!」
母親の方に目をやると、微笑みながら、願いを書いていた。
「お母さん、なんて書いたの?」
「フフ……、教えない」
「えー、じゃぼくの願い事も教えない」
そこに大きな声が聞こえてきた。
「さー、みなさん体操をはじめましょうー」
そうやって、デイサービスの一日ははじまった。
帰ってくると、もうへとへとだった。
夜ご飯を終え、さっさと布団へもぐる。晴は、その夜眠れなく、七夕の星はでてないか、ベランダに出てみた。すると、まばゆい光が晴を覆い、一瞬目を閉じた。そこには、後光を放った彦星様と織姫様が降りてきた。信じられなかった。織姫様はクスクス笑っている。彦星様が話しかけてきた。
「願いをかなえあげるよ」
願いって。別にそんなのない。なにを言おう。
「今の幸せがずっと続きますように。母も、今と変わらず、ずっとこのままでいられますように!」
晴は、気が付くと口にしていた。織姫様はクスクス笑っている。
「そんなのでいいの?」
晴は、真剣そのものだった。
彦星様が言ってきた。
「わかった。かなえあげるよ」
一瞬、まばゆく光ったと思ったら、織姫様と彦星様は、星に帰っていった。
気が付くと、朝の四時だった。えー、夢だったの?なんだ~。晴は、一人言をいった。
デイサービスの施設には、七夕の飾りが飾ってある。
「あっ、この願い、おもしろいねー。『五億円あたりますように』だって」
口々に、ひとが集まり、皆が書いた願いを見物している。
「まあ、これ誰が書いたのかしら、仲のいいこと」
その願いには、こう書いてあった。
『母の願いがかないますように』
そしてその横には、
『息子の願いがかないますように』
リンリン。
風鈴は、今日も心地よく響いていた。