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いい加減な父

幼少の頃、私は父に連れられ映画館で映画を観ることが、しばしばありました。
夏休み、冬休み、春休みには、当時、映画館で放映される映画は子ども向けアニメが2本立てで上映されていました。


 幼少の私が観たいアニメ映画を映画館で観るのではなく、父が観たい戦争映画を観るため映画館に父は私を連れて行くのです。


 一般的な親であれば、子どもの観たい映画を観るために親が子どもを映画館に連れて行くのでしょうが、私の場合、父の観たい映画に幼少の私が父に付き合わされ、戦争映画を観続けるのですから、まったく面白くもなんともなかったのです。
 この戦争映画を観ることによって、幼少の私に平和の尊さを説くのであれば納得いく話なのですが、そのような考えは一切無い父なのです。


 戦争映画を観終わると、父は映画の感想を口にするのですが、その感想は「戦争が続いていたら、お前を特攻隊に入れて親父の敵をとらせるんやけどなぁ」と、自らが戦死した父親の敵をとるのではなく、幼少の私に敵をとらせるというものなのですから、幼少の私は呆れてものが言えなくなったものです。
 さらに父は、ただ、戦争映画の戦闘シーンで興奮するだけのものなのですから、開いた口が塞がりません。


 また、最悪だったのは、当時の映画館では一度映画を観終えても、現在のように客の入れ替えはなく、そのまま、同じ映画を見続けることができたことです。
 父が映画の途中、トイレに立ち鑑賞できなった映画のシーンがあれば、映画が終わってエンドロールが流れても、引き続き同じ映画を最初から観続けなければならないのです。
 これは幼少の私にとっては、とてつもなく迷惑な戦争映画の鑑賞だったのです。

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