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曽祖父たちの話

もし尊敬している人は誰かと聞かれたら私は迷わず曽祖父達の名前を言うだろう。あの苦しい戦争を戦い生き残ったのだ尊敬に値するだろう。

私の代になるとあまり詳しくは聞かされていないが父方は南方に母方は東南アジアに出兵したと聞き、父方は知らないが母方は衛生兵をやらされたと記憶している。そして終戦まで生き残ったのだ。

私はその話を聞いて、真っ先に餓島とインパール作戦が思い浮かんだ。もし曾祖父達がその作戦に関わっているのであれば、私は天に顔を向けたい気持ちで一杯になる。

父方はもう父に聞くしかないが、母方はまだ祖父が健在だ。意識もはっきりしている。戦争の話ないし曽祖父の話を聞きたいと言えば渋い顔をしながら一応は話してはくれると思う。聞いてみる価値はありそうだ。

私が幼い頃から父方の祖父母宅は年に1回、2回行けば良い方だが母方の祖父母宅にはよくお邪魔をさせてもらった。今でも暇さえあればよく帰っている。そのためか母方の曽祖父のエピソードはいくつか知っている。

曽祖父は祖父に対しては厳しい態度でいたが母や叔母に対しては甘かったのだという。私が産まれた時には既に他界していたが、もし生きていたのであればどんな態度だったのであろうと幼心に思った事がある。

曽祖父たちの写真は額縁に収めてちゃんと飾ってあるが、どれも年老いてからの写真しかなく数も少ない。時代背景を考えるとやはりそんなものだなと考える。が1度だけ母方の曽祖父の若かりし頃の写真、しかも出兵前の写真をひょんな事から見たことがある。

父や母の知り合いからよく目元は父そっくりだがそれ以外は母そっくりだと言われることがある。私はそう言われる度あまりピンと来ていなかった。親子だからそんなものだろうぐらいにしか思っていなかった。

私はその写真を見てビックリした。

なんと私と瓜二つではないか!!目元は似ていなかったが、それ以外のパーツは私その物だと言って過言ではなかった。兄弟と言われても話が通るぐらいそっくりだった。その時にようやく周りが言っている意味がわかった。

だけど残念な事に私よりも顔立ちが端正で凛々しく頭が良さそうでさぞモテていただろうという印象を持った。まじまじと見ていたらなんだか悔しい気持ちになった。

以上が私の知っている曽祖父たちの話だ。何か思い出したらまた話すとしよう。



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