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「サッカー」は「何者」かになるためのツールではない

こんにちは。普段はトッテナムのこと書いてますがシーズンも終わり、
来シーズンに向け各クラブ動き始めている中、今回はトッテナムから外れた記事を書きたいと思います。筆者はもうそろそろ30と良いお年頃になっておりますが、大人になっていってから感じた「サッカー」について書いてみたいと思います。

気づけば同年代で熱心にサッカーを見るのはほんの一握りに

私は中学の頃にスパーズファンになり、そこから試合を見始めるようになりました。中学、高校ではプレミアリーグのBIG6(ユナイテッド・アーセナル・リバプール・シティ・チェルシー・スパーズ)のファンがそれなりにいて、プレミアリーグの話題をよくしていたものでした。それは大学に行っても変わりませんでしたが、社会人になると話題はサッカーから仕事や夫婦生活といったプライベートのものに切り替わっていきました。

私は今でも早朝や深夜帯やミッドウィークにある試合でも寝る時間を調整して見ていますが、同年代でそこまでしてみる友達はいなくなりました。
何なら、若干引かれてるかもしれません(笑)

「熱」はあっても「時間」がない。または「熱」が冷め、違う何かに「熱」が移っている。大人になるにつれ極東に住む私たちには「海外サッカー」が「余裕のある人の娯楽」になっていくのかもしれません。

念のため補足すると、私はサッカーの話題が少なくなった友達に不満を言いたいわけではありませんし、今でもたくさん試合見てる私凄い!と誉めてほしいわけでもありません(笑)
誰かと一緒に歩む人生を始めれば、お互い何かを我慢や捨てる必要があるはずです。「サッカー」がそれにあたることも充分理解できますから。

「サッカー」が先?「承認欲求」が先?

サッカーをより楽しむためにも「情報」を仕入れるのは必須です。監督のインタビュー記事だったり、現地ジャーナリストが書いたコラム、はたまた1ファンの意見なんかが、自分の好きなチームを深く知るための重要なツールだったりします。

情報を仕入れるツールの1つにX (旧:Twitter)があります。私も情報のほとんどをここで探すのですが、ここでたまにお見受けするのがサッカーを道具にした「承認欲求」ムーブです。こういった類のものはサッカーに限らず、どこの界隈にでもあるものでしょう。

己の存在を広く知ってほしい欲望を満たすため、炎上もしくは相手が反論したくなるような極論めいた煽りをするのを見かけます。

「悪名は無名より勝る」とはよく言ったもので、こういった煽りをしている方の認知度が高い気がします。

人間生きていると誰かに認められたくなったり、羨ましがられる存在になりたいものです。

サッカーで見られるこのムーブ、果たしてサッカーを楽しめているのでしょうか?「勝利」や「強さ」だけが全てではありません。
もちろん、応援しているチームが負けるのはいい気がしません。ですが、皆さんが応援しているチームは「強さ」以前に何かしら惹かれるものがあって、応援しているはずです。

そういうお前もこうやって記事書いて、承認欲求求めてるじゃねぇかと言われたら返す言葉ありませんが・・(笑)

最後に・・

目の前の「勝利」や「強さ」を追い求めるのも大事ですが、そこにフォーカスを置いた楽しみ方は「サッカー」を楽しむ期限を早めてしまうと私個人は感じています。「サッカー」はシンプルなようで奥が深いかと思えば、奥が深いようでシンプルだったりします。色んな角度から見る「サッカー」も面白いですよ。そして、たまには「サッカー」に心奪われた日を思い返すのも悪くないかもしれませんね。

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