「受容度」「寛容度」は大切
人との関わり、コミュニケーションにおいて、「受容度」や「寛容度」の差異は非常に大きな問題である。
例えば、朝が苦手な人がいるとする。
その人と朝に待ち合わせをした時に、その人が遅刻してしまったとする。
多分朝が苦手な人というのは、同じく朝が苦手な人に対して寛容だと考えられる。
だから、自分も朝が苦手だった場合、朝に遅刻されても許すことができる。
一方で朝が得意な人からしたら、朝が苦手で遅刻する人を許すことはできないだろう。
これが「受容度」「寛容度」の差異である。
この差異があると、コミュニケーションなどが困難になることが多いと思う。
「自分はちゃんとしているのに相手はちゃんとしていない」もしくは、「自分が許せることを許されない」ということは非常にストレスを抱えやすいからだ。
時はだいぶ戻り、小学生のときに、やたらと「ちゃんと掃除して!」という女子がいたと思う(わたしです)。
それに対して男子は「うるせー!」と言い、ウザがっていたと思う(わたしは男子に蹴られたことがある)。
これも今思うと「受容度」の違いと考えることができそうだ。
男子からすると、掃除をしていないことが許せるんだと思う。
一方で女子は掃除をしていないことが許せない。
この「許せること」と「許せない」ことの差、つまり「受容度」に差異がある場合は、揉め事が起きやすいのだ。
では揉め事を起こさないためにはどうしたらいいのか?
それはずばり「相手の受容度を受け入れること」である。
小学生の掃除の話であれば、女子側は「あぁ、男子は掃除をしていないこともOKなのね」と思うべきであり、男子側は「あぁ、女子はちゃんと掃除がしたいんだな」と思うべきである。
また、アプローチ方法として、女子側は「わたしはちゃんと掃除してほしいと思っているんだけど」と伝えるべきであり、男子側は「ちゃんと掃除をする必要性がわからないから教えてほしい」と伝えるべきである。
これが「相手の受容度を受け入れること」である。
勘違いしないでほしいのだが、受け入れるということは必ずしも考え方を変えるということではない。
男子がちゃんと掃除をしなければいけないと考え方を改めるということが受け入れるということではなく、「女子はこう思っているんだな」と思うことが受け入れるということなのである。
このように「受容度」が異なると揉め事が起きやすい。
だからこそ「受容度」を「受容する」ことが揉め事を防ぐ第一歩である。
しかしながらあまりに「受容する」ことに囚われてしまうと、今度は自分の価値観や「受容度」を変えてしまいかねない。
ここが変わってしまうと自分の根幹となる部分が崩れてしまい、自己喪失に陥る危険性がある。
だからあくまでも、自分の価値観を抱えながら相手の価値観を受け入れること。
これが大切である。