思春期の後悔

先日、Youtuberの動画で彫刻刀で版画をしている動画を見た。

きっとほとんどの人は小学生の時に版画を経験していることだろう。
そして彫刻刀も持っていたと思う。

多くの人は特に色も柄もない、普通の彫刻刀を持っていたのかもしれない。
でもわたしの世代ではカラフルな彫刻刀が発売されていた。

彫刻刀のグリップに色がついていたのは勿論、カバーにも色がついていた。
彫刻刀のグリップの色はどの彫刻刀を購入しても同じだったが、カバーの色は選ぶことができた。

選べる色はピンクと水色だった。

小学4年生ぐらいになると思春期が始まって、女であることとか男であることとかを意識するようになる。
恋って何かとか彼氏が何かとか漫画からも知識を得るようになる。

と同時に”女である自分”が少し気持ち悪く感じる時期でもあるのだ。

今でこそそうでもないが、その当時は”女と言えばピンク”という印象がかなり根強くあったと思う。

当然ながらピンクを選ぶ女子は少なかった。
女の象徴を模した色のものを持ちたがらなかったのである。
そしてわたしもそのうちの一人で水色を選んだ。
その彫刻刀は義務教育の間ずっと使うことになった。

中学生になって、女である自分を少しずつ受け入れられるようになった。
同時に”ピンクの彫刻刀”が酷く羨ましくなった。
自分に自信もなかった。
少しでも自分が”女である”という要素が欲しかったのかもしれない。

正直過去に「後悔するかも?」と思わなかったわけではない。
でもピンクを選べばぶりっ子と言われるかもしれない。
そんな恐れもあった。

そんな恐れのために後悔するべきだったのか?


思春期は難しい。
自分のことを受け入れること、これもかなり難しいことだ。

結局後悔したわけだけど、今は思春期じゃないから後悔していないのか?
否であろう。

その一時の感情でいつもと違う選択肢を選ぶことに未だに慣れずにいる。



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