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第七話 愚者 二

もくじ 3,727 文字

「まったく、勘弁してもらいてえよ……」
 肩をすくめて、二人の前に腰を下ろした。五所川原が、災難だったな、と笑いかけ、松浦は、まあお茶でも飲め、と紙コップにペットボトルのお茶を注ぐ。
 三人は今日、事情があって酒が飲めない。松浦は夕方からバイトが入っているし、川崎と五所川原は、仲間たちの送迎を頼まれている。桜祭りの期間中は、駐車場の出入り口で飲酒検問が行われているから、二人が飲んでしまったら、全員徒歩で帰らなくてはならなくなってしまう。マサオもそれは同じはずなのだが、何ぶん酔っぱらっているため、自分の行為がもたらす結果まで、考えが及んでいない。
 ぽつんと取り残されたマサオ。川崎を追うでもなく、腹に抱えたクーラーボックスを見つめて、ぶつぶつ何事かつぶやいている。
「何見てるんです?」
 岡崎がくわえ煙草で訊いてきた。真一は黙って顎をしゃくる。
「何だあ、ありゃあ」
 マサオに目を向けたのち、岡崎はしょっぱい顔で振り返った。眇めた右目は、煙が染みたせいだけではないだろう。何か訊きたそうな顔に、真一はこれまでの経緯を教えてやった。
「何だか面倒くさそうな奴ですねえ……」
「お前の友達じゃないの?」
「はっ? 知りませんよ、あんな奴」
 心外だ、と目をく。むろん、真一は冗談を言っただけだ。マサオは、松浦の同級生だろう。
「ちょっと、あんたの番」
 むすっとした声が割り込んできた。白いブラウスに黄緑色のカーディガンを羽織った女の子が、岡崎の後ろで、トランプを突き出している。色白で、ミディアムの髪の色も淡い。細身の黒いパンツでは膝が疲れるらしく、真一が見ている前で、また座り方を変えた。美汐も元バイト仲間だ。店のバイトの中ではいちばん勤務歴が長く、副リーダー的な立場にある。年は真一の一つ下。
「あ、すんません」
 頭に手をやって振り返った岡崎が、扇形に広げられたカードの中から一枚引いた。自分の手札と見比べ、他のカードと一緒に捨てる。円座の中心に溜まったカードに、スペードとダイヤの4が加わった。
 真一も岡崎から一枚引く。ダイヤのJ。一緒に捨てられるカードはなく、手札に加えた。
 岩見沢にカードを差し向けつつ、横目でマサオを窺う。
 相変わらず、クーラボックスとにらめっこを続けているマサオ。ただ、青い蓋は開けられ、視線が注がれているのも容器の中だ。
 クーラーボックスは空っぽだったはず。缶ビールやおつまみの類はすべて外に出されている。マサオの興味を惹きつけているものは何だろう。マサオにしか見えない何かが潜んでいるのだろうか。おもちゃの鼓笛隊とか、目玉のおやじとか……。
 訝しんでいると、マサオがおもむろにクーラーボックスに頭を突っ込んだ。
「あーっ!」
 野人のごとき咆哮ほうこうに、仲間たちが一斉に振り返る。隣のグループの宇和島が、やれやれ、と肩をすくめ、野田という男も、苦笑いで首を横に振っている。彼らにとっても、マサオの酒癖の悪さは知れたことのようだ。特段、驚いた様子はない。ただ、大月さんと高萩さんという女の子二人に同じ余裕はなく、嫌悪感を露わに、バッグをつかんでほかの場所へ移ろうとしていた。
「お前の知り合い?」
 美汐の隣の西脇が、もう一つ隣の益田に、さっきの真一と同じ質問をした。継ぎぎデニムのチューリップハットをかぶって、柄のうるさいポンチョを着ているほうが西脇、紺色のキャップに、スケートボードブランドの赤いトレーナーという格好をしたほうが益田だ。二人も元バイト仲間。真一が店にいた頃、西脇は週二日、益田は週四日のペースで働いていた。西脇はメインである輸入雑貨の店――ゆくゆくは自分の店を持ちたいらしい――のバイトと掛け持ち、洋食屋のせがれの益田は、マスターと遠い親戚という関係から、人手不足のときにヘルプで店に入って、そのまま定着してしまった。
「さあ、見たことないな」
 首を傾げた益田を見て、真一はおやっと思う。益田は松浦と同じ高校の出身だ。高校時代は松浦とさほど親しくなかったそうだが、松浦の友人と思しきマサオを見たことがないというのはおかしい。同じ高校に通っていたのなら、顔くらい知っていてもいいはずだ。
 岩見沢の反応も同じ。「お前はどうなんだ」、と訊いた岡崎に、「あいつらの中学時代の同級生じゃないの」 と当てずっぽうな答えを返していた。
 だが、二人が知らないとなると、マサオと松浦たちは、いったいどういう関係なのか。岩見沢の言う通り、中学時代の同級生か、昔のバイト仲間か、あるいは、それ以外の遊び仲間か……。
 ほっとけほっとけ、と宇和島が手を払うと、隣のグループの面々は、何事もなかったかのように会話に戻った。真一たちのグループでも、西脇がカードを捨てたのをきっかけに、ゲームが再開した。和やかな雰囲気が場に戻って、マサオが何者であるかという問いは、うやむやになってしまった。ただ、真一は、トランプに集中しながらも、二割程度の意識をマサオに残しておくことにした。

 マサオがクーラーボックスから頭を引っこ抜いた。中身が空っぽとわかって放り出すと思いきや、腹に抱えたまま、じっとにらみ据える。クーラーボックスはぱかんと口を開けて、マサオを見上げるだけ。ごうを煮やしたマサオは、寡黙な相棒の横っ面を引っぱたいた――つもりだったが、狙いが外れて硬い角に指をぶつけてしまう。
「あいてっ」
 酔っぱらっていても、痛みの感覚はあるらしい。悲鳴を上げて、熱い物に触れたときのように、激しく手をプラプラさせる。そうして傷めた指を押さえれば、自ずと怒りの矛先は川崎たちへと向かう。
 あいつら――
 ゆらりと立ち上がる。ひしゃげた紙コップを片手に、覚束おぼつかない足取りで、川崎たちのほうへ向かっていく。シートの隅まで行くと、和気あいあいと語り合う三つの頭を見下ろした。
「ずいぶん楽しそうじゃねえか。俺も仲間に入れてくれよ」
 どろんとした目つき。
「それでさあ!」
 川崎が声を張り上げる。傍らのマサオを一顧だにしない。無視の意図は、松浦と五所川原にも伝わり、見えない壁がマサオを阻む。
「それがお前らの答えか……」
 しばらく黙っていたマサオだったが、川崎と五所川原の間に足をねじ込むと、漬物石でも落とすかのように乱暴に腰を下ろした。
「お前だよ、お前。俺の話は安っぽくて聞いてられねえってか」
 川崎の肩に腕を回して体を揺する。川崎の首がフラワーロックのように揺れる一方、マサオが握る紙コップからは、ぽちゃぽちゃと酒が溢れ出していく。あぐらをかいたスウェットのズボンに点々と染みが出来上がっていくが、酔いが回ったマサオは気づかない。
「おう、コラ。何とか言えよ。口がついてるんだろう、んん?」
 ねちっこい声にも、川崎は無反応。一切の表情を消して、虚空の一点を見据えるのみ。
 はて、どうしたものか……。不可解そうに首をひねったマサオは、川崎の正面に回り込んで、カエルのように低い体勢から仏頂面を覗き上げる。尻を向けられた松浦が、チッと舌打ちして場所を空けた。
 マサオの赤ら顔が接近しても、川崎は微動だにしない。ぴんと背筋を伸ばして一点を見つめる様は、悪霊の声には何があっても答えてやらないぞ、と覚悟を決めた修行僧のようだ。
「なあ、川ちゃんよお……」
 頑なな態度に根負けしたのか、マサオは急にシラフの顔つきになって、諭すように語りかけた。強硬策は通用しないと見て、懐柔策に切り替えたのだろうか。
 と、思ったら、
「お地蔵さんになっちゃったんですかーっ!」
 いきなり絶叫した。
「ああ、うっせえ!」
「な、何っ!?」
 岡崎が首をすくめ、美汐がこわごわ振り返る。マサオたちがいる場所は、シートの隅っことはいえ、ほかの仲間たちからそう離れているわけではない。大声を出されたら、驚くに決まっている。膝立ちになった野田が、「叫びたいならあっちへ行って叫べ」 と山のほうを指さしている。
 だが、皆がマサオに注目したのはいっときのこと。状況を把握するや、誰も彼もそそくさと前を向いてしまった。いよいよ荒れ始めた酔っぱらいをつついて、自分たちに火の粉が飛んでくるのは御免こうむりたいのだ。
 真一も、周りと一緒に前を向く。
 ストップモーションのかかった手が、目の前に突き出されていた。
 岡崎からカードを引くと、止まっていた時間が動き出す。
 ――あ、ババ。
 むろん、声には出さず、手元のカードの間に挿し挟む。
 扇形に広げたカードに目を落とすと、ジョーカーの絵柄がマサオと重なった。今日集まったメンバーは十五、六人。これだけ人がいれば、確かに一人くらいジョーカーが紛れ込んでいてもおかしくない。
 そう思って顔を上げたら、美汐と目が合った。美汐は一瞬鼻を膨らませ、斜めに視線を逸らした。気づかれた。マサオの声に驚いた岡崎が、手札を隠すのを怠ったのだ。下を向いた拍子に、肩から滑り落ちた髪が顔を隠したが、次にカードを引く岩見沢は、一瞬の表情を見逃さなかったかもしれない。
 だが、動揺したそぶりは見せられない。
 ポーカーフェイスを作って、岩見沢にカードを差し向ける。

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鈴木正人
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