私の人生2 (波乱万丈)
18で車を買ったのはいいが まだ親と暮らしていたんで
早く1人暮らしかしたかった
車を買ったと同時ぐらいに マンションを探して一人暮らしを始めた
この時からもう毎晩のように車で走っていった
最初は高速道路や一般道を飛ばすばっかりだった
その時に本屋で見つけたオプションと言う ビデオテープ付きの本が出ていた
土屋健一というドリフトキング
僕はドリフトにのめり込んだ
車もいじれるところはいじって
休みのたんびに走りに行っていた
少しずつ上手になって 仲間も増えた
そんな時親父の勧めで 自分で請け負って仕事をするようになった
面白いぐらいにお金が入ってきた
いろんなとこに遊びに行った
走り友達と飲み友達色々忙しかった時代 本当に懐かしい😀
走り屋をしているとタイヤ代2ガソリン代いろいろなパーツ代が重なってくる
でもそんなこと全然気にすることもないくらいお金が入ってきた
うぬぼれすぎていた その頃姫路の女性と付き合っていた
少し離れたところだったけどすごく気が合った女の子だった
いつでも僕に優しかった しかしその子が名古屋ですることになった
新幹線でも言ったし車でも行った
しかし名古屋という距離がぼくらを引き裂いたのかもしれない
だんだん連絡も取らなくなり 自然消滅しました
昔は携帯電話もなく LINE なんて全然なかったので 連絡するのは家の電話か公衆電話だけだった
なんとなく嫌気がさしていた僕は走りに走りまくっていた
そんな時僕が走り屋の本に載るような事記事があった
今では悪いような印象だろうけどその当時は嬉しかった
うまいドリフトがいてるって言うような感じで乗せて行ってくれていた
その時たまたまある女性が僕の本を見ていてくれた 今の嫁さんだ。
ここからがまた楽しいことがいっぱいあった
その女性を摘んでいろんなとこを走りに行った 決して走り屋の走りではなくドライブとしてだけど 二人で結婚も考えた
ドライブして遊びながらもし一緒になれたら 良い家庭を作りたいと話していた。
その時ぐらいだったかな僕の走り屋の仲間が一人死んだ
峠でドリフトをしている時だったけど僕の前を走っていた。
そんなに上手な子じゃなかったけど僕が後ろに居てれば誰もついてこないと思っていた。
しかしその峠の一番難関なコーナーでガードレールを突き破って崖に落ちてしまった
仲間達と手分けして警察消防レッカー車全部手配した
だけどその子は即死だったらしい
それをきっかけにドリフトは卒業しようと仲間で話しした。
まあ卒業って言っても綺麗事だけで何の卒業かわからないけど。
僕もドリフトを卒業すると決めたんで車を変えたセダンの車に乗り換えることにした。
しかしその死んだ子の親には未だにお墓も教えてもらえない状態だ。
すごく寂しかった悲しかった。
そんなこんなしている時に僕が少し病気になった。
ベル麻痺という病気になった
顔の左半分が瞬きもできず動かなく突然なった。
耳の後ろにある神経が死んでなるそうで その当時はちゃんと治るかどうかわからない状態だった
その頃付き合っていた妻に話をした
この先この病気が治らなかったら結婚はできないから別れようと。
その時付き合っていた妻はこんな状態では別れとはっきり言ってくれた
本当は耳鼻咽喉科に行くのは本当らしかったがその頃はそういう知識がなかった。
家の近所にあった鍼灸院良い先生に直してもらうことになって 進級を3ヶ月続けた
なんとか直った一瞬はもうあかんかと思ったぐらい落ち込んでいた。
若いうちの軽い病気ぐらいになったんだと思う。
そんなことをしている時に付き合っていた妻のお腹に赤ちゃんができた。
ここから楽しかった人生が少し道を間違えたのかもしれない。
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