葉書
祖母が、亡くなる前にくれた葉書。
夏、来なくて寂しかった。
ああ。駄目だ。
そう書くだけで涙が駄々漏れる。
なんとダイレクトな。
どストレートな文面。
もう30年ほど前にもらった、震える文字で書かれたこの葉書を、
その文字の内容と状況を、
わたしが認識したのは葉書をもらって10年を過ぎた頃だと思う。
たぶん、葉書にある夏の前の冬か、その前の夏には会いに行っていて、
その時祖母は入院していた。
空襲の中、生後3日の母を毛布にくるんで逃げたという印象通りの、
なんだか強く厳しく凛としたイメージの祖母は、そのイメージは変わらぬまま、病床でビールをコップ1杯だけもらっていた。
なんだか意外だったのを覚えている。
そしてそんなイメージのまま、孫に会いたがるとゆー想像がなかった。
まだ若く幼いわたしは、自分のバイトと遊びと彼氏に夢中だ。
関東関西と離れていたこともあり、葉書の夏は行かなかった。
そしてそのまま永遠に会えなかった。
それでも、離れて暮らす祖母が亡くなることに身内の寂しさはあっても、生活が変わるわけでもなくお通夜とお葬式でバイバイして過ぎていった。
30歳を超えて、実家が無くなることになり、持ち物を整理していてみつけた葉書。
震えている字は、もう力が入らなかったから。
ビールを許されたのは、もう先が長くないと周りも知っていたから。
ダイレクトに想いを一生懸命書いてくれた葉書。
ダダ漏れ以外の何がある。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
子供みたいにそう思って泣いた。
心に響く表現は数あれど、
どストレートな言葉は、どストレートに目頭にくる。
もう会えない人だからそう思うのかもしれないけど。
うん。そうかも。
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