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恩師と年賀状終い(過去振り返りあり)

  • いつもnoteをご覧頂きありがとうございます!
    本格的に仕事始めの1週間が始まりました。
    今日は、「みんなで楽しくお話しましょう」の会の日です。私が司会をします。
    何故か私の時だけ、参加人数が凄まじい気がします。(本当は数人でいいと思っている)
    何年やっても、動悸と緊張感が消えない…。
    いつも怯んで、声が小さくなるんですよね💦
    でも仕事なので、頑張っていきたいと思います!

  • 中学時代の恩師との年賀状
    さて、今年になって世の中は「年賀状終い」が増えているようですね。
    私には、中学を卒業してから今日まで、唯一
    年賀状のやり取りをしてきた方がいます。
    それは、中学時代の恩師(女性)です。
    普通に考えたら、大人になってまでも教え子に
    年賀状を送る先生もすごいなと思いますよね!

    本当に中学時代の恩師には、お世話になっていました。
    今年も年賀状を書かせていただき、ひとり暮らしを始めたこと、その為住所が変わったことを報告しました。

    私もほとんど年賀状は書かず、唯一恩師にだけには、ずっと年賀状を書いていました。
    そんな恩師が今年の年賀状をもって、SNSに移行するとのことです。

    成人してから1度再会したことがありました。
    それからも既に約10年経つのですが…。
    その時には、「私LINEしないの」っておっしゃっていたのです(笑)
    それを思い出し、遂に時代の流れに乗ったのだなとちょっと嬉しくなりました。
    仕事がお休みの時に勇気を出して、登録させて頂こうと考えています。

  • 恩師との出会い
    せっかくなので、恩師との出会いがどんな感じだったのか、どんな方だったのか書きたいと思います。ここからは「先生」と表記しますね。

    出会いは約20年前、中学生になった頃です。
    先生は、国語の担当でその時から美人でかわいらしい方でした。でも性格は男勝りでした。
    1年生の時は担任では無かったのですが、私は先生にすごく助けられました。

    出会わなければ、今もきっと「大人を信じる」
    「人を信じる」人間にはなれなかったでしょう。

    中学生になった時、私はあることに悩み1人で苦しんでいました。
    それは、小学校から続いていたクラスメイトからの「いじめ」です。
    小学校で一旦止むのかと思っていたら、中学に上がってからもかわらず続いていたのです。
    私は人に相談するタイプでは無かったので、
    1人で抱えていました。
    ある時、先生から呼ばれこう言われました。

    ねぇ?何か悩んでいることがあるんじゃない?」

    最初はごまかそうとしました。でも先生の目が真剣でこれは白状するしかないと思い、正直に言いました。
    「実は、小学校の時からいじめを受けています」と

    先生の対応は迅速でした。まず学年の先生全員からの事情聴取が始まりました。
    (標的は私だけではなく数人いました)
    毎日のようにカウンセリング室に通いました。
    そしてある日、当時クラスメイトだった子達全員の名前を、学年集会の時に先生方が呼んでいました。

    その時になんと言ったのか分からないのですが、当時クラスメイトだった子達(ほぼ全員)から
    「今まで(いじめて)すみませんでした!」と放課後に謝罪がありました。
    何を伝えたらこうなるんだろう?と不思議なくらい真剣に謝っていて驚きました。

    それでも私に残ったのは「深い心の傷」でした。
    この時は知識も何もなかったのですが、今思えばPTSDの症状もありました。
    でも3〜4年もいじめを受けていれば、そうなるのも無理はない気がします。
    私の精神疾患との戦いはここから始まりました。

  • 恩師との交換日記
    私が中学2年生になった頃、先生が担任となりました。その時に「あなたの担任になっちゃった!よろしくね😌」と言われました。
    これは後から知ったことなのですが、先生自ら
    志願した様でした。
    AI⭐︎RIを守りたいから、担任させてください」と。
    そしてこの頃私は、足の手術をする事になっており、入院予定でした。
    本当は4月に入院するはずだったのですが、元々気管支喘息も持っており、その発作が起きて2ヶ月延期になりました。
    学校が嫌いだった私は、延期になったことがショックで泣きました。

    しかし、入院までの2ヶ月間先生は、一生懸命
    私と向き合ってくださいました。
    クラスの中になかなか馴染めずにいると、必ず先生が声をかけてくれて、輪の中に入れるようにしてくださいました。
    それでもクラスのみんなと話すことや輪に入ることが、当時の私には高い壁でした。
    (若干場面緘黙ぽい感じ)
    今はあるのか分からないですが、当時課題として「1ページノート」というものがありました。
    中々声に出して話せない私に、先生はある提案をしてきました。
    文章を書くことで感情が現せるのなら、先生と交換日記しようか😌」

    話すよりも書くことが好きだった私は、この日記の中では、自分の思っていることを出すことが出来ました。
    時には先生に対して、心にも無いことを書いてしまったこともありました。
    それでも先生は決して私を見捨てることなく、
    真摯に向き合ってくださいました。

    そして、入院する前日まで少しでも私がクラスのみんなと打ち解けられるように、尽力してくださったのです。
    そのノートは3冊にもなり、今も思い出として残してあります。
    (ただ、内容が本当に病んでいる…)

  • 大人になって、本当に強くなったねと言われた

    入院中も何度かお見舞いに来てくださいました。
    本当はNGだったのでは無いかと思いますが、メールの交換もさせていただき、メールでのやり取りもしていました。

    そして退院して中学3年になった頃に、残念ながら先生とはお別れになってしまいました。
    先生も校長先生に、私を卒業まで見守らせてほしいと頼んだようですが、さすがに無理だったようです。
    そこの中学での勤続も長かったこともあって、
    異動は仕方ないことですが、すっかり先生に依存し、先生しか信用できなかった私は、3年の時に担任になった男性の先生を毛嫌いして、嫌な態度を取ってしまっていました。

    その状況をどこかで知った先生から、携帯に電話が入りました。怒られると思いました。
    しかし、先生は優しいトーンでこう言いました。

    「AI⭐︎RIは、先生がいなくてももう大丈夫。生まれ変わったんだよ?」と。
    その言葉に私は号泣しました。

    先生がいなくても頑張ろう、強くなろう。そう思って学校に行きました。
    でも、男の担任の先生だけは受け入れられず、
    しばらくして先生は学校に来なくなりました。
    (後にうつ病になったことを知る)
    そして、また新しい先生が担任となりました。

    前担任の先生を学校に来れないようにさせてしまった。心の病にさせてしまったのは、自分のせいだと20代半ばまで自分を責めていた私。
    先生と10数年ぶりに再会して、その事について触れたことがありました。

    「AI⭐︎RIのせいじゃないよ?あれは先生が心が弱かっただけだから。もう自分を責めないで」

    そう言われた時から、少し呪縛から解き放たれた感覚になり、心が軽くなった気がしました。
    そして、過去の話にもなりました。
    先生は私の人生をずっと心配してくださっていました。

    「高校ではいじめられたりしなかった?」と聞かれました。
    「ちょっとあったかもです」と答えました。
    (実際、無視とか嫌がらせは受けてました)

    すると先生に「よく高校辞めなかったね!」と言われました。
    本当は、仕事もバリバリやっています!という報告をしたかったのに、再会した時は仕事を辞めてしまって、メンタルを病んでしまっている時でした。
    それでも先生は「本当に強くなったね!先生は嬉しいよ☺️」と言ってくださいました。

    そんな言葉を聞いて、さらにもっと強くならなければ!先生に良い報告が出来るような人生を送らなければ!という目標が出来て、これまで頑張ってこれているような気がします。

    これからも人として成長して、恥じない人生を送っていけるように、頑張らなければならないなと最後の恩師からの年賀状を受け取って、強く決心した次第です。

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