関西の幻想郷、芦屋(自分的に)
幻想郷のさざ波の音がまだ心の中に流れている。その音を聞いていると、普段の景色も少し違って見える。
ーーーーーー
誰しも普段の道の反対には、何があるのだろうと考えたことがあるだろう。通勤、通学路で普段使う道。右折するところを左折する。3番線の電車ではなく4番線の電車を待つ。ショートヘアの恋人がいるのに、ロングヘアの女の子と寝る。(面白くない冗談)
僕も大学の授業をさぼっては、普段行かない駅で降りる遊びをする。今回は芦屋へ降り立つことになった。改札では僕の心の中の侍者がレッドカーペットを敷いてくれる。心躍る瞬間だ。
駅を降りるとまず、どこからか流暢なイタリア語が聞こえてきた。流石は芦屋と言ったところか。ボンジョルノ。チャオ。
芦屋は南北に長い街で、僕は南を目指すことにした。ひとつ海でも見てやろうということだ。道中どう見ても上品なマダムや、落ちている銀杏の臭さに驚きつつも足を進めた。
平日の昼間とあってことか、子供の数が多かった。公園の数も多い。それに一つ一つ面積も広い。ほとんどが親と一緒にして遊んでいた。僕の地域では子供は子供だけで遊ぶのが常識だったため、少しカルチャーショックのようなものを受けた。芦屋は素晴らしい環境である。
そのような見慣れないような景色を横目に、海まで歩いた。駅から50分もかからないくらいで到着した。海を目で捉える前に、風が到着を知らせてくれた。そういえば村上春樹のデビュー作は、芦屋を舞台にしていたのだったかな。(違っていたらその時はすみません)
海には子供連れの家族や、散歩している人たちがいた。それでも人は少なく心地良かった。皆リラックスしきっている。足元に広がる砂を介して、他の人の温かさが伝わるようだった。僕もどこかの国の砂浜を温められているかも知れない、と想うのも素敵なものである。
水平線の先には大きなコンテナ船が浮かんでいた。とても動いているようには見えなかったが、一時間後にはしっかり位置を変えていた。それは世界を正常に動かす時計の針のように感じられた。これは大袈裟で陳腐な表現だけど。
芦屋のおかげか、海のおかげか心が温まった。この時期の海というのも良いものである。
だらだらと分かりづらい文章を書いてしまったせいで、あまり伝わっていないかもしれません。なのでもしお暇があればぜひ足を運んでみてください。素敵な街ですよ。