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神頼み
苦しい時の神頼み
「日頃は神も仏も拝んだことがない信心のない者が、苦しい時や困った時や災難にあったりしたときにだけ、神仏に頼って助けを求めて祈ること。」
ガチャガチャ
これを見て、ガチャを思い出す私。少なくとも、私自身の人生においては、○○ガチャだったということはありません。しかし、それは結果論であって、ガチャの内容があたりであろうとはずれであろうと、その過去をどのように捉えるかでレア度が変わると思っています。まあ、ガチャについては前回も書きましたね。
なろう小説は面白い
そして話はとびますが、なろう小説や漫画は面白いですね。
特に好きなのは「転生して」「最強の能力を手に入れる」ような物語です。小説や漫画もありますが、アニメにもなっていますね。結構流行ってるんですかね。
「悲劇の主人公」から「最強の主人公」
何もうまくいかない、友や仲間に裏切られる。という前置きが多い。最悪なことに命を落としてしまう。
しかし、設定はいろいろあれど、転生する。そこでは最強の能力を手に入れたり、異性にもてたり、転生先の人生がうまくいったりする。
なぜ面白いのか
私はめっちゃ読みます。漫画。強くなるし、もてるし。ファンタジーな世界に行けるし。好きです。しかも能力に関しては、めちゃくちゃ強い能力を手に入れることが一番燃えます(笑)。敵なしですもんね。
主人公に投影する
アニメや漫画、小説、はたまたゲームでも、基本的には主人公に自分を投影することが多いです。小さい頃は主人公にあこがれたものです。
最近、子どもたちもなろう小説を読んだりしていることをよく見かけるようになりました。子どもたちも投影しているのでしょうか。
どこまで重なっているのか
なろうものに浸っている時、自分と主人公をどこまで投影しているのでしょうか。主人公が転生する前の最悪な人生からでしょうか。ここに感じるものがあります。
うまくいかない人生
うまくいかない人生が転生によって幸せになる。ことを多くの人がのぞんでいるのではないでしょうか。ただ、これは当たり前なのですが、ここになろうの様子が入ってきます。
「神様」の存在によって最強になるという要素です。
この辺から今日のタイトルと関わってくるのですが、やはり神様、つまり「自分ではどうにもならないこと」が神様によって「苦労せず?(設定にもよりますが)人生がうまくいくこと」という部分に違和感を感じることがあるのです。
確率で考える・レア度を上げる
このように、自分でどうしようもないことを外部からの力によって変えてもらうという流れには私も楽しんでいるものの、考えさせるところがあります。
ガチャで人生を例えてみると、やはりレア度を上げたいものです。人生においては様々なガチャがあります。国、親、担任、友達、会社など、ガチャを引く場面を様々です。
どうせなら、レア度を上げたいですよね。そして、レア度を上げる確率を上げていきたいですよね。どうすれば上がるのでしょうか。
確率は上がる
ガチャの確立に関しては、全てのガチャの確率は上げられませんが、逆に言うと上げられるものもありますよね。そして、捉え方を変えればレア度が逆転しますよね。
「努力」することでレア度の高いガチャを選ぶことができるようになります。また、レア度の高いキャラクターのいる場所、好きな場所を選ぶことができるようになります。また、努力する方向性、スキルによっては解放されるガチャも変わりますね。
「捉え方を変える」はずれに直面しても、捉え方を変え、反面教師にすることでレア度が逆転します。はずれから学ぶことで自分と言うキャラクターが強くなります。自分と言うキャラクターのレア度、能力が上がることで、環境も変えられる、レア度を上げることができるのかもしれません。
ただ、現実的に考えると、そのキャラクターの伸びしろ、天井は変えられないのかもしれませんね。この辺は運営、つまり国や周りの大人にゆだねられてしまうのかもしれません。悔しいですね。その子の得意を伸ばせるように教師としてできることを考えます。
ガチャに例えた時点で終わり
私は、何事にもガチャに例える、つまり運にたよることをした時点で、終わりだと思っています。
運に頼るとき、それは、
「自分にできることをすべてやりつくしたとき」です。自分にできることがもうなくなったとき、そこで初めて運に、神に、ガチャに頼ります。
人は、どのタイミングで運に頼るのかで結果が変わると思っています。
努力については、一言では表せないので、また今度ですね。