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エゴンシーレが見つめた自己の二面性
先日、東京都美術館で開かれているエゴンシーレ展を見にいった。19世紀の、シーレと関係の深かったウィーン分離派の画家とともに、彼の作品が、多く展示されていた。
エゴンシーレは、早逝の天才画家だ。幼い頃から絵に親しみ、16歳でウィーン工芸学校に史上最年少で合格し、18歳で初の個展を開く。20歳で多くの名だたる芸術家たちが出展した展覧会に、いくつかの作品を出品した。一度、第一次世界大戦に従軍させられるも、最前線に送られることは免れ、絵画の筆を折ることは無かった。そして、閃光のように絵画の道を駆け抜け、28年という短い人生に幕を閉じた。
展示の前半は、エゴンシーレに影響を与えた、ウィーン分離派の絵画が展示されていた。ウィーン分離派は、それまで、古典的な様式に留まっていたウィーンの芸術に、反旗を翻そうと集ったグスタフ・クリムトを中心とした芸術家集団である。彼らは、試行錯誤して、それぞれ新しい表現を求めていった。日本の浮世絵や、木版画に影響を受けた作品も多く、平面的で装飾的な明るい作品が多かった印象だ。
さて、二階に上がると、シーレとクリムトの印象的な対話の記録が目に飛び込んできた。
シーレ「僕には才能がありますか?」
クリムト「才能?君にはありすぎるくらいだ」
初期作品や、ドローイングは、古典的な性格が強く、対象の構造を極めて正確に理解し、捉えていたことが窺える。線は繊細で強く、最高にクールだった。彼が20歳ごろに自分の画風を確立してからの作品は、独創的な、彼の自己に対する捉え方が伺えた。自分とは何か、それを作品を作ることによって熟考していた若い画家の姿が目に浮かぶようだった。
シーレは短い画家人生の中で、多くの自画像を描いた。その自画像の中で、特に注目するべき点は、人物の背後に、彼を抱く、死神のような存在が頻繁に登場するということだ。また、愛人を描いたポートレートの中に、自分を背後に描き、二人の身体的特徴を入れ替えたりもしていた。ここに、彼の自己に対する捉え方の、ユニークな点があるように思う。彼にとって、自己とは唯一無二のものでは無く、相反する二つの感覚が同居する場所だったのではないだろうか。よくその自画像を観察して見ると、その相反するように見える、二人の人物が、手を繋いでいたりする。それは、相反する二つの感覚とは決して独立したものではなく、地続きのものであるということを表しているような気がする。それは、おそらくシーレにとって恐ろしいことだったのではないか?感覚が、意識が、急に別のものへと変わってしまうような不安、それは現代人の精神にも、同じようあると思う。SNSの中で生きる自分、そして現実世界で生きる自分、現代は二つどころか、三つ、四つ、もっとたくさんの数に自己が分裂しているように思う。そのような現代の自己の在り方の中でゆらぐ人間を、エゴンシーレは、最も早い時期に描ききった画家なのではないだろうか。