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ファミレス行こ。14話待ち3週目_映画『カラオケ行こ!』を再視聴

2024/12/4〜2024/12/10 映画「カラオケ行こ!」を再視聴 の達成報告をしたい。数日フライングだけど、もう達成したし、この想いをすぐに書きたいので前倒しで報告する。

まず、映画観た。
もともと1回観ていたけど、今週3回観た。なぜならアマプラで購入したから。サブスク万歳!

語りどころが多すぎて、1つの記事でおさまるんか?という不安がある。
世の中には何十回もこの映画を観た方もいて、感想も書きつくされている感がある。でも書く。だって「好き」って気持ちは伝えたほうがいいから。

俳優さんが素晴らしい

まず、主役のお2人をはじめ出演された方々の演技が魅力的すぎる。

まず、聡実くんだよね。

齋藤 潤くん、、完全なる聡実くんじゃん。
オーディションってすごいね。全国から「聡実くん」を探し当てることができるんだもんね。
でも、映画の中では緊張感があって思春期・変声期の危うさを持っている齋藤 潤くんだけど、インタビューなど映画本編以外のところで見ると、映画の中の聡実くんよりも柔らかい印象。
映画の中では完全な聡実くんなんだよね。これが俳優としての才というやつなんだろうか。そしてその才を発揮できる状況をつくった監督含め関係者の皆様に敬意を表したい。

とくに『紅』の熱唱は この物語の肝で、正直「映画化って言ってもさ、聡実くんの熱唱どうするんだろう」と誰もが思ったはず。
それをあの歌唱ですよ。
上手いのはもちろんだけど、魂がこもってる。そして変声の辛さも表現されている。
「ああ、聡実くんはこうやって魂をこめて狂児の鎮魂歌を歌ったんだな」と思わせる説得力がある歌唱だった。聡実くんの内に秘めている熱さが伝わってきた。あれを一曲しっかり聴かせる演出は粋だよな。で、その長さに堪えるだけの歌唱なんだわ。素晴らしいよ。

で、狂児ですよ。

綾野さんが原作ファンだからか、すごく狂児というキャラクターを咀嚼しきっている感じあったよね。「狂児を演じている」ではなくて「狂児がいる」感。二次元から飛び出してきたのではなくて三次元に存在している狂児はこれなんだな、と納得したというか。
狂児って色気が服着て歩いてるみたいなとこあって(私の解釈)、それが見事に具現化されているよね。
綾野剛さん嫌いな人っているんかな。ちゃんと年をとっていて、色気も危うさも増しているって、すごすぎるでしょ。
ほんで、裏声の『紅』よ。
「終始裏声が気持ち悪い」にぴったりの歌唱ができるって、俳優ってどんだけすごいんだよ。

そして、周囲の方々も素敵。

2人を囲む周囲の方々も素敵だった。
和田くんはじめ合唱部の先生・生徒の皆さん。映画見る部。岡家の人々。成田家の人々。祭林組の面々の絶妙な歌ヘタ具合。お茶目な組長。
全員に何らかの賞を差し上げたい。一人ずつ壇上に上がってください。

とくに聡実くん熱唱の場面、原作のヤクザ勢ぞろいも圧巻だったけど、映像になると余計に「ヤクザのカラオケ大会に乗り込む」ことの重みがわかる。そして「狂児はどうしたんですかッ」という言葉も、音を帯びるといっそう胸に迫ってくるものがあった。(原作は「狂児はどこ行ったんですかッッ!!」少し言葉を変えているところも音と映像が入ってきやすくしているんだろうな。)

脚本・監督が素晴らしい

映画『カラオケ行こ!』の脚本は野木亜紀子さん・監督は山下敦弘さん。

『空飛ぶ広報室』『重版出来』 『逃げるは恥だが役に立つ』など、原作のある作品にも定評がある野木さんなので、『カラオケ行こ!』の映画化に何の心配もしていなかったけど、やっぱり今回も素晴らしかった。

かつて野木さんの脚本について『空飛ぶ広報室』著者の有川浩さんが「原作ものを解像度高く解釈して物語を編み直す構成力」という評をされていたけど、『カラオケ行こ!』でも、その力が炸裂していた。

物語を編み直す構成力を堪能する

野木さん自らが「中学生の青春映画バージョン」とおっしゃっているところに原作との違いを挙げていくのは野暮だけど、原作との違いを見つめることで人物への理解が進んだり物語の輪郭が際立ってきたので、やっぱりそこを語りたい。
原作と違う部分にこそ映画『カラオケ行こ!』の良さも詰まってる。野木さんの「物語を編み直す構成力」を堪能するために、私が好きな「原作と違うポイント」をあげていきたい。

1:映画見る部

原作を進行している「聡実くんのモノローグ」は映画では存在しない。映画見る部でぽつりぽつりと話す場面には、映画『カラオケ行こ!』において聡実くんの内面を表すという重要な役割がある。
原作はモノローグと見せかけて最終的には卒業文集の文章につながり、聡実くんのモノローグはモノローグであるが「聡実君の内面だけにあるもの」として描かれてはいない。声を大にしては言わないけれど隠しているわけでもない。そんな微妙なニュアンスの聡実くんの言葉を「映画見る部」のシーンはうまく表現しているように思う。

2:歌詞を翻訳

『紅』の英語歌詞
I could not look back, you'd gone away from me~♪(以下略)
を和訳するシーン。
この歌詞の訳が秀逸
「あんたが去ったとき 俺は振り返られへんかった
ハートがめちゃ痛い 追いかけ続けてしまいそうで怖い
あんたのマボロシ見てもうて 真実見つけに真っ暗な街を走ったで
記憶の中のあんたは 俺の心の中で光ってるで
ピカピカや」(映画『カラオケ行こ!』より)

で、最後に歌詞を思い出してるのは聡実くんだけど(あ、ここで名刺を見つけるシーンもいいよね)実際、映画内で血をかぶって紅に染まってるのは狂児なわけ。だから聡実くんだけが『記憶の中のあんたは 俺の心の中で光ってるで』って思ってるわけではないということなんですよ。どっちも当事者なんよ。

3:紅を聴く狂児の姿

これ、すごいですよね。
綾野剛さんのあの表情だけで「ありがとうございました」とお礼を言いそうになる。
そうだよね。狂児は聡実くんの熱唱を聴いてたよね。カツ子のトイレ付近で。
観ている私たちが感動する熱唱(原作の中でも組長を泣かせちゃう熱唱)。
それも自分だけに向けられた歌。
ヤクザの真ん中で自分への鎮魂歌を歌ってくれる、という状況そのもの。
それらが何を意味するのか。
言語化されない大きなものを狂児が確かに受け取ったと思わせる表情だった。
原作になかったそのシーンを映像にしたということが原作への愛だと思うんですよ。

4:狂児の電話「久しぶり」

ここ、すごい好きで。
原作『カラオケ行こ!』のオーラスである空港シーンを変更するってかなりすごいなと思う。成長期の俳優さんの「3年後」を表現しづらいなどの制約はあったにせよ、ここのどんでん返し感こそが「カラオケ行こ!」という物語が「映画みたい」と言われる所以だったはずで、かなり勇気が必要な変更だったはず。それをこんなに素敵なラストにできるって、、やっぱりプロの仕事ですよね。

ここでのポイントは「原作から何の要素を残したか?」だと思っていて、

  • 腕の聡実は存在している

  • 狂児から聡実くんにアクションしている(狂児から電話してる)

  • 「カラオケ行こ!」で終わる

上記は変更しない判断がなされたということだ。
『ファミレス行こ。』の映画化を想定した場合にも文脈として必ず必要なのが上記の要素だったということなのではないかな。

特に原作の空港シーンは、もとは「運命的な偶然の邂逅」だったらしきところ、和山先生が過去のサイン会で「会いたくて仕方がなかったから調べて行ったんでしょうね」とコメントしたという噂(エビデンスない。掲示板情報)があり、映画『カラオケ行こ!』の最後が「狂児から電話してる」場面だったことで、その発言が裏付けられたとも取れる。

腕に刺青彫っちゃう→会いたくて来ちゃった(電話しちゃった)→
カラオケ行こ!(関係の再開)
は物語の核ということだね。理解が進んだわ。

音楽が素晴らしい

もうね、リトグリの『紅』を何度リピしたことやら。

編曲も素敵だよね。中学校のときにやめたピアノを再開したくなったわ。
もちろん、本家の『紅』も何度も聞いてる。
YOSHIKI天才。
30年の時を超えて感動させる曲を作るって・・マジ天才。

さらには他の人が歌った『紅』も聴きたくなってYouTubeで「歌ってみた」「カバー」を鬼のように探す。
で、女性ボーカルの方が歌っている紅がボーイソプラノっぽくて気に入ったので、アマプラが開けないときはその方の紅を聞いている。
(YouTubeを張り付けてよいのか迷うが、一旦やめておく)
もう紅を聴き過ぎて、YouTubeでどの動画観てもすぐ「次の動画」つって紅をサジェストしてくる。紅に次ぐ紅。

原作が素晴らしい

色々あって最終的にはここに立ち戻ってくるわけですよ。
シナリオブックの最後に野木さんが書かれていたコメントが本当に素敵だったので引用したい。

実写版というのは結局のところ二次創作にすぎず、原作こそが至高であり聖典だ。~中略~この世に『カラオケ行こ!』を生み出してくださった創造主・和山やま先生に、心から敬意を表します。(映画『カラオケ行こ!』シナリオブックより)

この姿勢で作られている映画が素晴らしくないわけないじゃないですか!
正座してもう一回観るわ!

その他の活動:狂児の香水買ってみた

映画をリピート鑑賞している合間に、今週は狂児のイメージ香水を買ってみた。

本当は、聡実くんメモ(シャネルの香水つかってるおじさんと同じ匂い)の通りにシャネルの香水を買おうかと探していたところ「あ、カラオケ行こ!のイメージ香水あるじゃん」と気づいた。

いや、もちろんこれはイメージ香水なので「狂児がつけていた」香水とは違うかもなんだけど、公式に出ている香りがどんなものか?は知っておいて損はない。っていうか損なんてないんだ、この物語関連の行動には。

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抗えぬその瞳に誘いざなわれて ゆるやかに染み込むムスキーフゼアノート
刺激的なスパイスが放つ力強さの奥で、存在感を潜ませているのは、重厚なレザーの渋み。
大人の余裕を感じさせるスマートな空気が、次第に人肌のようなムスクのぬくもりに包みこまれ、穏やかな時間を生み出してゆく。
危険な印象の後ろで落ち着いた男の甘さが漂う、ビターながらも奥深いフレグランス(primaniacs説明より)

ムスキーフゼアノートてなんやねん。でも「ムスクのぬくもりに包みこまれ、穏やかな時間を生み出してゆく。」はええな。

で、買ってみた。今もつけてる。

ムスキーフゼアノートとは

思ったよりも軽めの香り。シャネルの香水っぽくしているわけではないのか。シャネルって言ってもどの銘柄か(エゴイストか?)は特定されていないので、エゴイストと比較してますけども。
エゴイスト買って比較してみよかな。

あれ、お金使いすぎてる?まいっか。12月だし。
今週はここまで。(堪えきれなくなったらまた書く)

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