2024/11/19 スポットライトを照らすのは
エレベーターって自分で時間進めてる感じがせず、不安感というか寂しさがあるなと思っていたら、星野源のANNで「あなたが寂しさを感じる瞬間」でお便りを募集していた。タイムリーで嬉しくなった。
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2024/11/16
植林ボランティアに参加した。元々は9月にあったらビジネスコンテストで取り扱ったテーマが脱炭素でその時に過密林問題や間伐について知り、興味を持ったことが発端だ。
鉄は熱いうちに打てということでこのボランティアへ応募したのはビジコンの5日後。参加日は今日と明日。9月に自分的ホットワードだった脱炭素は10月に置いてきてしまったので、モチベーションが冷え切った状態で11月へ突入し、今日これといった使命感もないまま参加した。
車で下道2時間かけて到着した先にはたくさんのおじ(い)さん!大学生は私ともう1人。ここでも高齢化が進んでいた。
私の服装は黒のスウェットの上にUNIQLOのウルトラライトダウン、下はGUのカーゴパンツ、そしてなけなしのマウンテンブランドkeenのローカットブーツ。服装の指定としては長袖長ズボン、靴はハイキングシューズとの指定があったものの用意ができず、1番ハイキングシューズに見えるものを選定した結果によるものだ。
周りのおじは mont-bellやColumbiaで装備を固めている中、私はGUとユニクロ。完全に着てくる服を間違えた。(後々判明したが、周りが常連なだけで私の服装は間違っていなかったっぽい。)
自己紹介パートに入り、数々のおじが年の功を感じさせる経歴や志望動機を披露する。私の番が回ってきた。こういう時は「若輩者ですがお手柔らかに」と言っておけばいいので、「若輩者ですがお手柔らかに」と言ったらまばらな拍手だった。もうこのテンプレは使わない。
植えた木は小花粉のスギの苗。これを手作業で300本植えた。うさぎによる獣害が相次ぎ死んだ苗の代わりに植えた。スギの成長は早いそうで、5年単位で顕著な成長が見られるらしい。
植えた場所は40度弱の傾斜面。写真だと分かりづらいがいざ登ってみると絶壁ようで、何度か心が折れた。
登った先で撮った写真。こちらも分かりづらいが雪が積もった日にこの場所から雪玉を転がしたら大きな雪だるまができるくらいの高さと傾斜。もっと分かりやすく言えば足を踏み外したら命の危険がある程度の作業場だった。おぢに行かせるわけには行かず、率先して登ったが内心は若い芽がここで途絶えることになってもいいのかと少々恨み節を入れながら登った。
植樹は13時半から始まり、15時半に終わった。黙々と作業をしていたらあっという間であった。全員が怪我なく終えることができたのは何よりだった。開始前、山蛭には注意するようにとのアナウンスがあって怯えていたものの噛まれることもなく終えられた。
植樹はかなりの体力と時間を要求される。企業のCSR活動やボランティアで行う活動は自己満足の延長線で、SDGsを達成するための環境活動に取り組むためにはもっと多くの林業従事者や、正当な対価が必要だとも感じた。
そんな真面目なことを考えたのもものの数分で、風呂入って飯食って、寝支度をした。食事後の懇親会であがった話題がちょうど私の学科に関わる内容でちょっとドキドキした。こういう対立が生まれることこそがこの分野のよくないところだよなと思いながら話を聞いていた。
2024/11/17
2日目。6時半起床。コンセントがないバンガローに泊まる日とポケスリのグッドスリープデイと重なってしまった。モバイルバッテリーを紡いでなんとか朝まで充電を持たせた。スコアは100点だった。
2日目は枝打ちと間伐を行った。昨日はつるくわを使って土をほぐしたが、今日は鋸を使った。枝打ちにも極意のようなものがあり、始めの説明でそれを教わった。悪い例として企業のCSR活動で参加した人たちが行った枝打ちが紹介されていて、やはり環境活動というのは自己満足というか、企業イメージのた向上めの活動なのだなと感じた。全部が全部そうではないと思うが。
コツは枝の生え際を捉えながらも木の皮は剥がないことだ。切る場所が甘ければ枝は再生する。一方で皮は再生しない。マインクラフトの原木ブロックも一度斧でクリックすれば皮が剥がれ再生しない不可逆性を有している。この知識が紐づいた瞬間だ。
想像よりも肩の力を使う。太い枝であるほど切るのに時間がかかるし、体力を消耗する。1人で行うにはあまりにも膨大な数で、「1人の10歩よりも10人の1歩」の意味を実感させられた。
初参加ということで1本だけ間伐させてもらえた。私が応募時に最も興味を寄せていたのは過密林問題であるので間伐に参加できたのは幸運だった。
木をただ植えるだけでは全ての葉に等しく陽の光が当たらない。無計画に植えた木が育つと、植物の呼吸によって排出する二酸化炭素量が、光合成で吸収する二酸化炭素量を上回って結果的に地球温暖化を促進させる。これが過密林問題で、戦後すぐに乱雑に植えた木の代償が現代にしわ寄せしているらしい。
木を倒す方向をよく考えなければ怪我人がでる。木を倒すというのはなかなかに責任が伴う行為で、優しくしてもらったおじに助けてもらいながら進めた。
この手順を踏むだけで、総活動時間の半分を持ってかれた。初めてということもあり手間取ってしまった。「職人ならもっと上手くやれる」とキルアみたいな小言を言われたが、私はハンターではないので多めに見てほしい。
枝打ちと間伐をした木はどちらもヒノキで、木からはそれはもういい香りがした。腕の中いっぱいにヒノキ風呂用にと貰った木材を抱えて帰ってきた。祖父母にあげたら祖母は喜んでくれた。祖父は鼻が効かないとのことで眉をハの字にしていた。
ボランティア終了後、ラコリーナでバームクーヘンを購入して帰宅した。それはもう疲労が溜まっていたらしく、19時に寝床についた。翌朝起床時間は7時。12時間眠っていた。筋肉痛はなく、不思議と目覚めも良かった。
ボランティアに参加しての感想だが、やはり自己満足なところが多かった。自然問題に対する意識改善や、大人が背負うべき社会的責任といった大層なものを語るつもりはない。台所のシンクを掃除して達成感を得るように、食事を作って満腹中枢を刺激するように、ただ木を植えて、枝を切ってやりがいを得た。
朝井リョウの『何様』の中には、「一秒の本気」という言葉がある。私はこれを思い出した。ボランティアをすることによって芽生えた環境意識は恐らく一種の流行だ。意識を高く持ち続け生活することは、私にとってまずない。しかしほんの数秒、一秒だけならそれに対して本気で考えられる。それを守り抜くことが大切だとひどく痛感した。結局残ったのは身勝手な達成感と瞬時値とも言える高い環境意識だったが、非常に意義あるものだった。