2024/10/23 創英角ポップ体最低!
ヘッドホンを着けた男が、アップルパイを左手に、スマホを右手に持ち、TikTokを開き、操作しながら、上り優先エリアの階段を下っていった。
自分が今後関わることのない人間に対して何かを感じることほど無意味なものは、ない。ただ文字に起こすほど印象深く残ってしまった。分解しよう。
「ヘッドホンを着けた男」
問題ない。音楽を聴くのはいいことですからね。
「アップルパイを左手に」
これなんで持っていたんだろう。食べてから電車乗ればいいのに。買う時間に暇を取られて電車が間に合わないんだったらスマホ見ずに急げよってなるし。でもアップルパイ自体には何ら罪はない。アップルパイを持っている時だって、ある。私にも。
「スマホを右手に持ち」
まだいい。私も手に持つし。なんなら簡単なLINEの返事とかなら立ち止まらずに返してしまうときもあるので彼を強く指差す立場はない。
「TikTokを開き、操作しながら」
絶対これ。許せない。TikTokってそんなに価値あるの?カレンダーと家計簿とnoteとメールがホームの四天王をである私にとってTikTokの優先度が歩行者に気をつけて階段に下るよりも勝るとは思えない。
いまだにYouTubeよりもTikTokを開くメリットを感じない。恐らくTikTok=俗物と無断転載の塊というイメージが強いせいでTikTokに割いてしまった時間を負けたと思っているから。YouTubeこそ至高というわけではない。TikTokを撮るJKを否定するわけでも、知識の習得をより短く手軽な方へ手を伸ばそうとする大学2年生を見下しているわけでもない(本当は見下している)。
私はラジオが好きだし短歌や活字が好きだ。周りがそういった人ばかりでないことはわかっている。文字に苦手意識を覚えている人や集中力がない人に対して自分が上であるとは思っていない(これは本当に。上は行動で、こちらは性質だから)。
私はTikTokを見る人とBeRealの通知に駆られ恐ろしい瞬発力でカメラを向ける人に対して共感ができない。ほとんどが文字で構成されたnoteが好きな私という存在を、対岸にいる彼らは理解してくれるだろうか。対立構図ではなく、血液型やmbtiのようにタイプが異なるように思える。mbtiはこういった見るメディアの違いまで分別できるのだろうか。
TikTok Liteでキャンペーンが流行った時に入れてみたが、達成したらすぐ消してしまった。正直タバコより魅力がなかった。YouTubeで満足している自分にとってそれ以上のものではなかったのだろう。
「上り優先エリアの階段を下っていった」
名古屋駅、金山駅ではエスカレーターは立ち止まって利用するようにルールが制定されている。地下鉄のホームや車内でも地元のサッカーチームがそういった台本を繰り返し読み上げている。私はこのルールが昨年追加されたことで名古屋という街が好きになった。左側にずらずらと並び、追い越し車線のように開ける右側を疎ましく思っていた。
私にはエスカレーターを駆けるほど急ぐ理由がないので基本的に立ち止まる。優先席に座るけど絶対寝ないようにしてじじばばか妊婦さんが来たら譲る私でも、こればっかりは譲らず右側に立つ。今の所後ろでつっかえる人に苦情を言われたことはない。迷惑だろうなと思いつつ、絶対に歩かない。踏み外したくないし、そういう失敗を想像している時こそ失敗するから。
なにが言いたいかといえば、傍から見れば迷惑な行為もポリシーがあっての行動かもしれないということ。ヘッドホン男もそういう事情があるかもしれない。
そんなものあるわけないだろ数歩ずれて下り優先エリアに来い。迷惑だろ。上る人に。TikTokを見たら有益な情報が手に入るメリットがあるかもしれないが上るところを下ってメリットないだろ。常識的に考えろ。
私はTikTok見ながら上り優先エリアの階段を下っていくことに苛立っていた。スッキリした。
歯痒くも動向を追っていた男女が遂にくっついていたり、毎日の労働や通学に揉まれながらも投稿を続けたりしている人に並んでこんな暗く見せるものてもない内容を書いてしまっていることに後ろめたさはある。タイムラインに出てきて読んでしまった人すみません。許せ。