2024/10/27 急性アルコール中毒体験記

一昨日、急性アルコール中毒になった。今は無事選挙にもバイトにも行けて完全回復している。

ことの始まりは月一回開催される研究室の飲み会である。ハイボール4杯と、日本酒を1杯飲んで気持ちがいい状態で1次会が終わった。研究室の教授を含めた飲みであるので、しっかりとした食事と規律ある飲みのペースで進められ、このまま家に帰れば完璧だった。

2次会のカラオケと聞いて軽い気持ちで参加したが、これが失敗だった。言い訳をするならば、最低学年の4年生が3人いて、Aは帰宅、Bは参加を決めていた。この場合、私は先輩の中に1人取り残される同期が心細いかと思い、参加しようではないかと思い、Aに手を振りBとカラオケへの参加を決めた。

カラオケ《名》
仲のいい友人と各自好きな曲を交互に入れて歌を歌い、採点機能や歌声を褒められることで自己肯定感をあげたりストレス解消したりする場。自分が知らない曲についても知ることができる場。

以上が私の中でのカラオケの定義である。
カラオケと言っているのに個別で酒は買わずに、チャミスルを指の間に2,3本挟んで会計をしているところで、浮かんだ疑問を無視せずに帰れば良かった。勝手に修士2年が呼んだ誰だかわからない人が参加してきたところで、自分に一向にデンモクが回ってこないところで、繰り返し曲予約される大塚愛のさくらんぼで帰れば良かった。

カラオケ《名》
コールをするのに最適な曲を爆音で鳴らすことができる空間。歌わない。

すごく悔しかった。私はいわゆるコール飲みが未経験で、自分のペースを乱される飲み方をしたことがなかった。私が泣きそうになりながら呼んだ別の同期Cに任せればよかった。共に参加したBはそういう場に慣れているらしく、せっせと空いたコップに酒を継ぎ足し、助長していた。

心優しい同期C(パズー)


Cは近々控えているマラソン大会に向けて体づくりをすべく、一次会には参加していなかった。それなのに酔った私は配慮がないことに呼び出してしまった。結論彼がアルコールを飲まずに帰れたかはわからない。けれどもCが来なければ私はもっと飲んでいただろうし、ヒーローであったことは間違いない。

私はカラオケの最後の記憶がない。終電には間に合うように解散し、帰りの地下鉄で倒れてしまって吐いて、近くの人に通報されて、救急車で運ばれたらしい。記憶があるのは病院からで、胃液を吐きながら親の連絡先を伝えた。LINEの通話ではダメらしい。研究室の人を呼ぼうにも電話番号がわからず、片道2時間弱かかる道のりを運転の得意でない母に来てもらわなければならなくなった。ここで気絶してしまった。

次目が覚めたら、姉が車椅子を押していた。どうやら母だけでなく、姉にも迷惑をかけてしまった。自分の愚かさと情けなさに消えたくなった。

帰った時には午前5時だった。風呂に入って髪についた吐瀉物を洗っても完全に臭いが消えず、湯船で気絶と覚醒を繰り返しながらなんとか寝る支度をした。次の日には留学に行った友人と飯を食べる予定があったがなくなく不参加にした。幹事であった私が参加しないというのも恥ずかしくてたまらなかった。

急性アルコール中毒に自分がなるとは思っていなかった。感想としては、「死ぬかと思った」「情けない」「コールのある場にはプライド捨てて逃げたほうがいい」である。

電車のホームにいたということで、よく線路に落ちなかったし、早期発見してくれたみず知らぬ人のおかげで適切な処置を受けることができた。コールは本当によくない。勝手に杯数飲んで自滅する人と、コールで潰される人は紙一重で、後者は被害者寄りだ。結局飲んだのは私だし、コールを要求されて拒否すれば良かっただけなのだが、できなかった。最終決定権は自分にあるようで自分にない。ただ結論飲んで潰れた私が悪いわけだし、本当にごめんなさいという感じ。

これから先酒を飲む機会は少なくないだろうけれども、もうコールには絶対乗らない。

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