名無しの怪物でなければジョーカーは格好つかない*ジョーカー:フォリ・ア・ドウ ネタバレ感想


ジョーカー:フォリ・ア・ドゥを初日に鑑賞した
私は心の底から感動した作品であったのだが、アメリカの前評判だけでなく、日本でもやや不評の声が大きい
また、褒めてる人も私の感想とは少し違い
私と同じ解釈の感想をネットで見つけられなかったので初めて本サイトで筆を取らせて頂いた


フォリアドウとは

フランス語で2人狂い、医学用語で感応精神病という意味らしいです
カートゥーンのバットマンではジョーカーとハーレー・クイーンの関係はまさにハーレー・クイーンがジョーカーに感応したと言えるので
観客はその先入観をもってまず鑑賞することになる しかし、本作ではこの感応は実は歪なものになっている
本投稿では感応の道筋と2人のズレている妄想を追うのがメインになる

ジョーカー冷めちゃった

映画冒頭のアーサーはジョーカーに冷めてしまっている
看守に「今日のジョークはどうした?」と聞かれて黙りこむシーンがあるが、これは入所当時はジョークを飛ばすジョーカーのキャラを演じていたがもうやらなくなってしまったことを示している
テレビでアーサーは死刑になるだろうとデント検事が息巻けば心の中でギャン泣き
映画序盤、初見の観客はなにか裏があるのではないか?と構えて観ているのでそのまま受け取ることはないだろうが、これが本映画のアーサーの心理のスタートなのである

ハーレー・クイーンとは名乗らない

その後ハーリーン・クインゼルと劇的な出会いを果たすのだが
振り返るとこの時点でリーが看守を「抱き込んで」仕組んでいたことがわかる

リーは「無敵の人」で真に自由なサイコパスとしてのジョーカーに憧れを抱いているが
真顔で平気で嘘を吐き、刑務所施設を放火しておいてその後何食わぬ顔で出所するなど
本作で1番カートゥーンのジョーカーに近い存在である

少し脱線したが、本作のアーサーはリーに熱を吹きこまれて以降初めてジョーカーの顔を覗かせるようになるのである
狂気の感応経路はリー→アーサー
リーはテレビのジョーカーに影響を受けてこうなったとは本編の情報からでは確証がないし
放火の手際や看守やアーサーを意のままに操る手腕(弁護士の解任もリーの発案)からそうではないと見たほうが有力ではないだろうか
しかし、2人は同じ狂気の幻想を観ているのではなかった

ただ一つの希望

リーと2人でピエロの化粧をしてテレビに出て、ミュージカル調に歌い上げるがリーはアーサーのことを見ていないことが露見し、最後には銃で撃たれてしまうというアーサーの妄想が中盤に挿入される

これは、直後の面会シーンを観てもわかるのだが
リーの本心をアーサーは深層心理で見抜いていて
最後には幻滅されることを予測していたのだろう
そして、ラストシーンでリーに撃たれる妄想が再度挿入されるあたり
自分の人生の幕引きとして愛するリーに殺されるならそれでいい
むしろ殺されたいと考えていたように思える

これが本作のアーサーの狂気であり希望である
その願いを叶えるためにジョーカーを演じたのだ

物語終盤で「ジョーカーはいない」と明かしたあともリーに会いたがっていたのは、そのためだったと解釈できる
アーサーは一作目の頃から(黒人女性との逢瀬妄想を除いて)理解不能な思考回路をしている人物ではないので
死刑はもう免れないこと、リーとの復縁はあり得ないことは理解していると私は観ている
*裁判所爆破後にリーとの復縁を迫る言動をしているが、本心は上記の通りのものだった
もしくは裁判所爆破からリーにフラれてパトカーに囲まれるシーンまではアーサーの妄想だったと解釈している

続くラストシーンで
その願いは果たされず、アーサーも観客も歯牙にかけなかったモブ囚人に刺されて幕引きとなる

真のジョーカー?

長くなったがようやく本題に移る
ネットではこのモブ囚人がバットマンと戦うジョーカーになるんじゃないか?という意見が多数であった
私の初見鑑賞時思いもしなかった見方で
なんかナイフいじってるなーとは気づいていたが口を切り裂いていたことには気付かなかった

それよりもアーサーの歌に震えていたからだ
モブ囚人真ジョーカー説や本作は一作目の自己反省映画とかの感想を見て
「あれ?アーサーの歌聞いてなかったのみんな??」となっているのが現在の正直な心境である

山をつくろう

リーがマスコミにジョーカーと連れ添ってなにをしたいの?
と聞かれて「山をつくるの」と返すシーンがある
劇中でアーサーとリーでミュージカル調で歌う「山をつくろう」は重要な意味が込められた引用であることがわかる

アーサーとリーのデュエットは中盤までで
終盤は刺されたアーサーが掠れ声で歌うのである
その中にこんなフレーズがある
”With a fine, young son to take my place
I′ll leave a son in my heaven on earth“

字幕でどう表示されていたのか覚えていないが
「私の代わりに立派な息子を地上の天国に残そう」という訳になる
死の間際の男の口から発せられた歌なので「息子よオレとは違ってお前は上手くやれよ」という意味が妥当か

息子というのは、リーが懐妊した子供のことである
リーの妊娠が嘘かどうかはあまり重要ではなく
アーサーが本当だと信じていることが大事なのだ

その子供はどういう子供になるのかというと
リーという狂ったシングルマザーに育てられる哀れな子供になるだろう
いや、アーサーは哀れとは思っていないのかもしれない
自分の母や自分のような気の弱いソシオパスではなく、リーのような本物のサイコパスの下に産まれた我が子なら自分と似た境遇であってもずっと上手くやれる存在になれる
そういう妄想をあの歌に込めて、本作は幕を閉じたのだと解釈した

泣くくらい感動できた
なぜなら、いままで噛み合わなかったアーサーとリーの妄想が初めて同じ方向に収束した瞬間であり
その妄想で産まれる子供は私のよく知る「ダークナイト」のジョーカーになりうると理解できたからだ

ジョーカーが産まれる瞬間

アーサーはモブ囚人に刺された現実をリアルタイムでリーに銃殺された妄想に上書きできるくらい強固な自分の世界を持っている
あの瞬間たしかに「ジョーカー」は産まれたのである
たとえ、アーサーの頭の中の世界であろうとも

エンドロール中は、これで「ダークナイト」のベール(バットマン)とレジャー(ジョーカー)の年齢差に合う(ジョーカーのほうが1作目ブルース坊やの年齢分くらい若い)なとか
タイトルにあるように、出自不明経歴不明でなければ「バットマン」のヴィランとしてのジョーカーにはなれないよねとか考えていた

リーの目的は本当のところは不明、出自は本人の情報は嘘でアーサーの弁護士が言うコミック準拠の出自は聞けるがそれも本当かどうかは実のところは不明
そもそも妊娠が本当なのかアーサーの子供なのかも不明
そんな母親から産まれるかもしれないし、もうリーは終盤の自宅で銃を自分に向けるシーンで自殺しちゃってて本当はもうこの世にいないのかもしれない

そんなジョーカーがラストシーンでいきなり産まれた!!!
というのはひたすらに素晴らしいと思う

しかし、どうやら少なくとも少数派の見方らしいので
この記事を観てくださった皆さま方に是非とも感想をお聞きしたいです

おわりに

当方、旧Twitter以外にまともにネットで文書を書いたことがなく、お見苦しい点もあったと思いますが、ここまで読んでくださった皆さま方本当にありがとうございます
忌憚のないご意見を頂けるととても嬉しいです

Gonna Build A Mountain Writer(s): Leslie Bricusse, Anthony George Newley











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