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思春期

 去年の6月にしたためた下書きを今更。1年でこんなにも感情が変わるなんてと、いつでも見返せるように。

私はまだ愛を知らない。愛という言葉自体は何百回も使ってきたが、自分以上に、自分を差し置いてまでも誰かを愛したことがない。私の愛の定義は、自己犠牲を払ってまでもその対象を守りたいとか自分よりも優先される存在のことなのではないかと考えている。愛を知らない子供が何を語っているんだと笑い飛ばされるかもしれないが。それこそ、信仰対象の推しに対する感情なんて愛の足元にも及ばないだろう。ただ勝手にこちらが幸せにならせてもらっているだけだから。


 ある小説で、"思春期"という過程を経て初めて愛を知るという内容を読んで、私は愛の"あ"の字も知らないし人として持っているはずの必要な感情が抜け落ちているのではないかと今の自分の現実に目をそむけたくなった。年齢的に言えば思春期なんてとうに通り越しているはずなのに精神的にはいつまでも思春期を越えられずに、ゴールのないトンネルの中をただぼんやりとさまよっている。多くの人が経験している普通が私の中にはないことへの恐怖と不安。ただ死んでいないから、死ぬことができないから生きているだけなのに考えるべきことはあまりにも多く、悩ましいこともあまりにも多い。


 たくさん考えてみたが今まで全く人を好きになったことがないというわけではない。人並とはいかなくとも、ある人のことを好きになって頭がその人のことでいっぱいになって他のことはなにも考えられなくて。その感情は確かに存在していたのに、私はいつも自分が傷つかないように合理的な理由を作り出して言い訳ばかりしてきた。世の中は自分中心で回っているわけではないのに。最初から諦めてばかりで、自分の気持ちに嘘をつき続けて、偽って。結局自分が苦しくなるだけなのに、心への自己防衛ばかり。
 こんなことばかり考えていると夜の深い闇に引き寄せられてじわじわと吸い込まれてなにもかもがなくなってしまいそうだ。太陽の光を受けて輝く花のように、身体の内側からまばゆいエネルギーを放出して目も当てられないくらい眩しく咲きたい。つぼみにすらなれていない私の思春期。自分の気持ちに正直に進まない限りスタートラインには立てない。


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