謎の焦燥感に追われ続けている
ここ数日、目に見えない焦りを感じている。そしてそれが苦しい。しなきゃいけないノルマを達成できずにいる時の焦りも苦しいが、見えない敵は大きくて掴めない。
あと一週間も経たないうちに大学が再開してしまう。あまりにもはやい、早すぎる。去年の夏休みもそうだった。これまでの学生生活に比べたら長くてもっと自由な休みだ〜!と思っていたらなんと、後期の授業も終わっていた。学生生活の中で大学生が1番あっという間に終わるとよく言われるが、こんなに早いものだとは思わない。今年の夏休みは何をしていたのかというと、バイトをして、本を読んで、おばあちゃんの家に行って、高校の同級生と卒業ぶりに会うために日帰りで往復夜行バスを使って大阪に行ったら体調を崩して、寝込んでバイトを休んで、なんとか治してタイに行って、帰ってきてまたバイトをして友達に会ったりしている。文字に羅列してみると"夏休み"という休みは充実していたが勉強なんてほとんどしていないから、周りとの見えない差を感じざるを得なくて焦る。インスタグラムなんておそらく留学で海外に行っているストーリーばかりだった。みんな何か行動を起こしている。私のタイはただの旅行です。
そもそも必要以上にバイトを入れてしまうことも目に見えない何かに焦っているからだ。高校生の時はアルバイト禁止だったから大学生になって1ヶ月もしないうちに働き始めて、毎月かなりの時間をそこに費やした。稼いだお金の分だけ自分の好きなことが出来るというのはもちろん楽しい。そして毎月ある程度の余裕があったから、お金の余裕が心の余裕に繋がるって本当なんだなと思ったりもした。でも最近になってからようやく、嫌でも働かなきゃいけない日々が何十年と待ち構えていることだし、もうバイトなんかやめてしまおう。大学生の本業である勉強に力を入れて少しゆっくりとした生活をしたいと思う。疲れたのだろうか。疲れたのだ。
バイト関連の焦りは他にもある。今働いているカフェは働きはじめて一年半を迎えようとしているから慣れすぎて仕事に新鮮さもなく、ただその時間を終わらせていくだけになっている。他にも一つだけバイトを掛け持ちしていたが、一年が経ったのとその他諸々の理由でやめた。自分を追い込むことが好きなもんで掛け持ち先をやめて速攻でイタリアンレストランの面接を受けたが、面接を受けてから試しで働く期間までに日にちが空きすぎて(予定を入れすぎなのだ)その間に枠が埋まってしまったという連絡が来た。そこで新しいバイトを探そうとする糸はぷつんと切れてしまった。今いる環境はとても心地良いものだから甘えてしまうが、そろそろ違うところに飛び込みたい。というよりも、変えなければいけないと思ってしまう。自分を偽らなくてもありのままを認めてもらえて、それを良しとしてもらえるというのは恵まれている。
仕事が落ち着いてアラフォーくらいになったら海外で暮らしたいというおおまかでぼんやりとした夢を持っているのだけど、全く英語が喋れないからまずはそこからだとタイで痛いほど実感した。これまで英語を嫌いだからという理由で逃げてきたがそんな言い訳はもう通用しない。最近になって知り合う人たちが英語を喋ることのできる人が多くて、刺激になっている。所属している委員会の仕事も学校へ行ってやらなければならない。あーダメだ。一生焦り続けなければならない。このノルマを終えても焦りに追われ続けるんだと思う。終わりがない。これを良いことだと捉えて自分のものにできる日は来るのだろうか?
書いているうちにまとまってくる思考があるというのがnoteを始めてよかったなと思う理由の一つだ。
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