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友情と愛情と独占欲と嫉妬について、ポテチを食べながら語り合った


今日、マルチェがあたしの家にやってきた。
一緒に薬味カレーを作って、お菓子とアイスを食べた。
アマゾンプライムで「MIU404」「きのう、何食べた?」を見て、
時々涙ぐんだりした。

そこであたしたちは、いろんなことを語り合った。途中、「男女の友情ってあるのかな」というテーマに移った。ここでは異性愛を前提として話をしているのは、あたしが異性愛者だからだ。あたしは恋人の「女友達」を正直そんなによくは思えない。女友達と会うのなら、あたしに言わないで行ってほしい。どんな人かも知りたくない、それは勝手に被害妄想を作り上げる性格だと分かっているからだ。
マルチェは異性の友人と会っている時に、その恋人に嫌な思いをさせていないかを気にしてしまうという悩みを話してくれた。

結局この問題って、信頼関係があるか否かに過ぎないと思う。信頼関係があれば、誰と会っていようが、不誠実な行為はしないと信じられる。またこの「不誠実」のジャッジだって人それぞれ。どれほど「二人の関係性」のなかで、何が大切なのかを話し合えているか、に尽きると思う。
ただ、なぜあたしは彼が「女の人」と会っていると、不安に思うのかと考える。性愛は時に動物的で、人の本能には逆らえないとどこかで感じている。でも彼の行動を制約したいとは思わない。彼は彼の人生だからだ。
GPSを気軽に取り入れられるとんでもない世の中になって、母は「相手が今何をしているかを知ろうと思うことが不思議。相手を”知れた”なんて思うことが暴論。相手はいつだって知らない人なのに」と言っていたのを覚えている。あたしもまさしくそれに近い感情。彼はあたしにとってとても近い存在だけど、同一ではない。あなたはあたし、あたしはあなた、ではないのである。

マルチェと別れてから、あたしは一人で街を歩いて、電車に乗って、小さな本屋を見つけた。そこで「少女マンガのブサイク女子考」(トミヤマユキコ)という本を見つけた。詩集がたくさん置いてある本屋だったから、詩集を手に取っていたのだけれど、このタイトルについ手が伸びた。あたしは漫画を読むことも大好きである。(いつかこれについても語りたい。ミステリという勿れをリアルタイムで読めていることに幸福を感じる。)漫画のヒロインは美しい子ばかりというけれど、それは本当なのか?、といわゆる「ブサイク」な女の子が描かれる漫画たちのあらすじなどをぎゅっとまとめた一冊である。
読み進めながら、当たり前に出てくる「美人」「ブサイク」という言葉に目をしかめる。時代の流れもあって、あまりこの言葉たちをあからさまには見ずに済んできたからかもしれない。人の容姿にあれこれ言うことは、すでに時代遅れなのだという考えが広がってきている。(ちなみにこの本は4年前に発行されたもの。)ただ、途中であたしは「目をしかめるあたしにルッキズムがないなんて嘘だ」と思った。人を美しい、醜い、と思ったことはある。そして、美しくなりたいと思い、化粧品を選び、洋服を手に取ってきた。美しくなりたい思いや行動は否定されたくないとも思う。

この本の著者は、予想以上に「ブサイク」な女子を描いた作品は多いと言っている。確かに多数の漫画が紹介されている。そして著者と熊町みね子さんの座談会では、漫画家によって「ブサイク」の描かれ方が違う(顔のパーツの違い、肌の凹凸の違い、言葉遣いの違いなど)ことに触れられていた。
美しささえ、時代によって大きく変わる。そして重要なことは自分が自分を「どう認知しているか」というところだと思った。

昨日、地元の友人に会った時、あたしは何気なく「そういえば太ったんだよね」と話した。すると友人は「え?太ってないよ」と言った。「いや体重増えたのよ」と話すと「へえ、でもわかんない。見た目は変わらない。」と言われた。この友人は気を使うタイプではない。だから、あたしは思ってる以上に見た目には太っていないのかもしれないと思った。自分の思う自分と、人から見た自分が違うことなんて往々にしてあることだけれど、こういうありふれた「認知のゆがみ」っていたるところに転がっている。

そう思った時、友情も愛情も嫉妬も独占欲も、すべて自分が物事をどう認知しているかによるのだろうと思った。彼が女性と一緒にいたら、浮気をするかもしれない、男女は二人っきりになったら一線を超えるかもしれない、と認めるあたしの気持ちこそが問題だし、それとどう付き合っていくかだ。もちろん、人によって認知はそれぞれであり、人間の尊厳と自尊心を危ぶむような認知は正していく必要があるんだろう。

あたしの中にルッキズムが存在していて、美しくあればあるほど素晴らしいという考えは既にある。でもあたしは、見た目で人を好きになったことはない。いや正しくは、「見た目だけ」で好きになったことはない。今の恋人を好きだと自覚したとき、彼の顔や背格好もあたしにとっては素敵だった。
人は見た目だけではないというのなら、中身が美しい、心が綺麗、とは具体的にどういうことだろう?
何を素晴らしいと感じ、何を美しいと思うか、自分の心と沢山向き合って、また文章を書いてみたい。

最近、noteがうまく書けないと思っていたけれど、今日の帰り道は頭の中に言葉がたくさん浮遊した。何とか両手でかきあつめて文章にしたため、雑な部分がたくさんあるけれど、それもそれで今日のあたし。
 

ダメなところも素敵に見えるから
あたしはきっと頭がおかしいわ
他の誰かが君を 鮮やかに見てたら
考えるたびに ちょっと不安だわ
今日はどこにも行かないで

「この恋はスクープされない」(コレサワ)

この曲には、夕暮れ時の、オレンジと青が混ざったアンニュイな空が似合います。

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