24年前の今日亡くなりました
24年前の今日、私が高校1年生の時でした。
大好きだった世界で一番私のことを理解してくれていると思っていた母が
亡くなりました。
庭に植えて咲くのを楽しみに待っていた白木蓮の花が咲くのを見ることも叶わぬまま。
私は必死でこらえようとした涙も、くしゃくしゃの泣き顔も
こらえきることができないまま
お世話になったお医者さん、看護師さんに深くお辞儀をして
病院を後にしました。
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中学二年生の時、家族で行ったロサンゼルス旅行。
この時はなぜか母がしんどいしんどいと言っていたけど
「しんどいって言わずにもっと楽しもうよ!」と
全く重く受け止めていなかった私と父。
これが母との最期の旅行になりました。
旅行から戻ってしばらくして
母が大きな大学病院に入院すると知らされました。
小さなころからいつも母の後ろに隠れているような子供で
母がいないと何もできない
一人っ子がゆえに甘やかされて育ったこともあって
中学生だったにも関わらずそんな状態でした。
なのに急に母が入院。
不安しかありませんでしたが、もちろんどうすることもできず
ただただ早く母が元気に戻ってくることを願って過ごしました。
母の病気は私の地元では治療が出来なかったため
別の市の大きな病院に入院していました。
そこに行くには車で1時間以上かかるので
お見舞いに行けるのは週に1回週末だけでした。
週に1回だけしか行けないお見舞いにもかかわらず
私は寂しさを紛らわすため友人と遊ぶからと理由を作って
だんだんお見舞いにもいかないようになりました。
お見舞いに行ったら別れ際はまた1週間会えないという寂しさや
帰りの車で一人声を押し殺して大泣きするのが辛すぎたから。
でも母の気持ちになったら週に一回お見舞いに来てくれるのをきっと楽しみにしていたはずなのに
それすら行かなかったことを今ではとても後悔しています。
母は少し良くなったと退院したと思ったら
またすぐに入院という生活が続き
私が高校1年生の3月28日に私の目の前で息をひきとりました。
母の病気がどれだけ深刻なものなのか私は理解していなくて
病気が治ってまた一緒に元気に暮らせると思っていました。
私は人生で初めて
どんなに願っても願っても叶わないことがこの世にはあるんだと身をもって知りました。
ほしいものは今買えなくても後でも買えるし
行きたい場所には今行けなくてもまたいつか行ける
だけどどれだけ母に会いたいと願っても願っても何十年、何百年願ったとしても二度と会えない。
こんな辛くて悲しくてどうしようもないことがこの世にはあるんだと初めて知りました。
それまでの人生で人の死は初めてではなかったんです。
でも私にとって母だけは特別でどんなにしてでももう一度会いたい。
そんな想いが強かったからこそこんな気持ちになったんだと思います。
母のお葬式の前日、最後にもう1度母を抱きしめたくて
みんなが部屋を出て行った隙を見はからって私はそっと母を抱きしめました。
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あれから24年。先日25回忌の法要を終えました。
庭に植えた白木蓮の花は母の命日頃になるといつも綺麗な花を咲かせてくれて母を想い出させてくれています。
きっと母はいつも私や孫たちのそばにいてくれている。
そう思って私は生きています。