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妻、がんのオペから病室に戻る
オペ直前まで明るく振る舞い、実姉にとても前向きな連絡をしていた妻は、作り笑顔で腰の辺りで小さく手を振りながらオペ室に消えていった。6時間後、病棟に戻った妻から先ほどの面影はなくなっていた。手術は成功だった。しかし全身麻酔の覚醒からくる強い吐き気と息ができないくらいの傷の痛みの苦しみに耐えていた。いや耐えられている状態ではなかった。妻は本当に利他的で、同室にきた私に気を使い痛みに唸りながら話しかけてくる。今は病棟か、個室なのはなぜか、どうやってここまで来たのか、先生と話をしたか、と。そんな中、病院の決まりで面会時間が終わり、看護師に帰宅を促される。後ろ髪をひかれながら、手術成功の結果に手放しで喜べない何とも複雑な思いで自宅に帰った。 帰宅後も妻からLINEが来ることもなかった。子どもたちには手術が終わったと言っていない。なぜなら痛々しく疲れ切った顔で、お腹から数本の管が出て袋にたまった排泄物と点滴の姿を知らない子どもたちが母に会いたがっても会わせたところで不本意な感覚に陥るのは親として無責任だと思ったからだ。まずは心から良かったと思わせる状態になってからと思っている。しかしどちらも正解だとは思う。我が子にはこれが最善だと思った。
オペ後2日目、恐る恐る朝の挨拶をLINEで送る。すると短く「おはよう」と4文字だけの返信がありホッとする。
痛みは随分落ち着いたが、なぜか個室にいると続く。これはオペ日に会話したはずだが、朦朧としていて意識のない発話だったのだろう。もう一度丁寧に説明した。その日の面会は痛みに苦しんでいた姿しか見ていない。昨日のように唸ってはいなかったがかなりしんどそうだった。会話はほぼなく、背中を擦ったりすることしかできなかった。必要なものに、手が届かない。そんな悩みを手となり足となり解消した。ただそれだけしかしてやれなかった。
オペ後3日目、痛みはさらに治まり、会話の端々で笑顔になれるまでになっていた。つい一日二日前に助けてあげられないくらいの苦しみに耐えていた妻は、普通までに戻れていないこそ、笑顔で話す姿に助かった思いがした。昨日まで口をゆすぐぐらいしか許されていなかったが、水を飲むことが許されたようだ。この日は人工肛門につけたパウチを交換する講習日で、私は立ち合いを求められていた。そばの椅子に座り様子を見ていたが、お恥ずかしながら卒倒しそうになった。あぶら汗が出て目の前が白くなり気が遠くなった。倒れることはなかったが、周りに気付かれることなく何とか復帰した。何が良くなかったのか。人工肛門もかもしれないが、体の数カ所から管がいくつか出ていて、特にヘソからの出ている管に反応してしまったのかなと思う。情けないし、妻も不安に思っただろう。申し訳ない。
なんにしても毎日お見舞いに行き、ポットのお湯を交換し、洗濯物を回収し、洗濯済みの服を持っていく。これを面会時間にやると、今の時代、つまり在宅勤務が根付いた頃に病気になりいわばラッキーだった。午前は出社し午後休もらい病院行くは子供の世話まで含めると無理だったと思う。在宅勤務で午後休をもらっているので、まだ体がもっている。そんな感覚。それでも私の体重は落ちてきている。決してガリガリではないので、まあ良い傾向かと受け入れている。
退院日は明確にはなっていないが、子どもたちは父の仕切りの生活に慣れてきた。明日は料理を休ませてもらう。母と違い、子供の嫌いな食べ物は考慮せず食事の支度をしたが、それなりに食べてくれた。明日はみな我慢のご褒美に好きなものを食べに行ってよしとする。