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日本とヨーロッパのイラストの仕事は全く違うよという話 その1

私がフリーランスイラストレーターとして仕事をスタートしたのは、大学院1年生の頃。絵が得意だったので、小さい頃からなんとなく絵描き的なものになりたいとは思っていた。が、当時はインターネットなどで情報など手に入らない時代。(1977年生まれ)ましてや愛媛の田舎で、女性が結婚しても続けられる理想的な仕事といえば、看護師や教師、公務員くらいだと言われていたようないないような。なので上京してイラストレーターになるなどという夢は芸能人になるようなものなのだと思っていた。なのでそのまま普通に大学に進学。漠然と日々を過ごしていた大学院時代、たまたま本屋で見つけた「ケイコとマナブ」という今はなきお稽古雑誌を手を取った瞬間に私の人生は動き始める。激安でイラストレーターになれるスクールを見つけたのだ。ちょっと胡散臭いなと思いつつも通い始めたが、なんとこれが大正解。通いはじめて3ヶ月で集英社の「セブンティーン」という雑誌でイラストデビューを飾った。*実際に同じ卒業生の周りの友人たちも最初は安すぎて怪しい!(笑)と思ったらしい。スクールは「渋谷アートスクール」。実際は今でも一線で活躍している人の多い、実は凄いスクールです。

当然ながら駆け出しのイラストレーターがすぐに食べていけることはまずないと言っていい。大学院を卒業し、イラストレーターとは名ばかりに所謂「フリーター」になってしまった。「なんで大学院まで出てフリーターなんだよ」と親には散々怒られたが…まあ当然でしょう。

東京の東小金井にあった5万4千円のエアコンなしアパートに住み、昼間はマンションギャラリーで事務のアルバイト、夜はたまにコンパニオンと呼ばれる軽い水商売などもしていた。その合間に持ち込み用の絵を描いたり、営業のアポをとる。直接持ち込むこともあれば、郵送することも。このグラグラとした不安定な生活から抜けたいという思いから、とにかく営業は頑張った。おかげでそうこうしているうちに女性誌や情報誌などから仕事がどんどん舞い込むようになり、卒業して約2年後、フリーランスとして独立することができた。家賃7万2千円の西荻窪に引っ越したのだか、その部屋は以前「ソフィーの世界」の翻訳家が住んでいて売れたから出て行った、出世部屋だよ、と不動産屋から言われたのも借りる決め手になった。実際、引っ越して2ヶ月後にドッカンと仕事が来たので確かに出世マンションだったのかもしれない。が、その後は普通だったので、そのドッカンが最後のエネルギーだったのかもしれないが。。。

当時は雑誌が元気な時代だったので、とにかく雑誌からのオファーが多かった。雑誌の特集の扉を自分のイラストで飾るのは本当に嬉しく、それだけで当時は大満足だった。またオズマガジンやじゃらん、anan、Hanakoなどの情報誌も元気だった時代。メイドカフェやホストクラブ、健康グッズなど、あらゆるものを体験してそれをレポート漫画にする仕事の連載も抱えていたし、結婚して子供ができれは子供ネタで漫画を描いたり一緒に撮影に行ったり。私生活がそのまま仕事になる部分もあり本当に楽しかったし充実していた。

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*取材でメイドにも2回ほどなりました。恥ずかしかったな〜。26歳くらいの頃です。

小学校の壁

*雑誌の特集の扉というのはこういうやつです。中身のイラストも描きますがイラストレーターとしての花形仕事としての1つです。

インターネットの普及に伴い、今は雑誌や出版業界は元気がなくなり、イラストレーターも厳しい時代ではある。それでも日本にはイラストの仕事が本当に多いと感じている。広告やハウツー本に漫画を使ったりイラストを使うことは一般的だし、漫画だけでなく、大人の読むコミックエッセイも大人気だ。が、ドイツにはそうしたものは一切ない。ドイツに来て、今まで自分が描いていたようなイラストは全く使う機会がないことに驚き、これまで自分のやってきたことは一体なんだったのか!?とショックを受けてしまうのだが。。。

長くなってきたのでその2に続きます。




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