表面的な"いい人"ほど気持ち悪いものはない…中野信子
※『Yahoo!』で読んだ記事・コメントへの感想です
長い記事だからさ。
ちょっと引用難しい。
コメント欄が「分かる人」と「分からない人」にくっきり分かれてる感じが面白かった。
因みに。
私は「分かる人」。
「分からない人」のことも、分かる。
知覚が違い過ぎるんだよね。
同じサピエンスでも……まして、サピエンス同士かどうかも分からない現状では。
「人類は必ずサピエンスである」と盲信している人には、この記事の内容は理解出来ない……じゃなくて。共感出来ない?
> 私にとって、人が人には見えないことも多い。
> もちろん視覚は生きているので顔は見えている。
> けれど、顔よりもその人の感触で相手を見てしまうことが多い
これ、私も。
この中野信子氏の知覚がどのようなものであるのか、は分からないけど。
私の場合は、視覚以外の「何か」が視覚情報として頭に入って来て、そちらの方が強いから。厳密には他人の顔が覚えられない。
老化により知覚が鈍くなって来た為か、最近はそうでもないけど。
人の顔に色の付いた砂嵐(テレビのあれ)が掛かっていて、その中に数字が浮かんでいる感じだった。
色と数字の組み合わせで、相手が誰であるのかは分かるから困ることはないんだけど。
顔は全く記憶出来ていなかった(出来てるとは思うけど、頭の中に再現出来なかった)。
この色と数字、または色と数字の組み合わせが好みでない人は絶対に好きになることはない。仲良くすること自体が相当難しい(「私が」ということではなく「お互いに」困難)。
初対面で、会話する前に殆ど理解出来るから。
子どもの頃は大人が言う「仲良くしなさい」が理解出来なかった。
見た瞬間、「合うか合わないか」が分かるんだから、「一度付き合ってみる」は意味が分からなかった。
この知覚情報を、他の人は持っていない、と知ったのは大人になってからのことだった。
……先に「殆ど」と書いたのは、「「初対面で会話する前」だと曖昧だけど会話すれば確実になる」というくらいのこと。「合うか合わないか」の判断だけなら、この「曖昧」な状態でも結論は決まってる。
他人の「気分」も、視覚情報として入って来る。
「気分」な。
「思考」じゃない。
「嘘(割と広い意味での)」を考えている人がいると頭の中の、その映像部分(他人の気分を映像化している視覚部分)が黒くなってる。正し、実際に嘘を吐いたかどうかまでは分からないし、嘘の内容も分からない。
とはいえ、黒の範囲や濃度で予想は出来るわけだけど。
私の場合は、「気分」は……。
赤は、「楽」
青は、「怒」
黒は、「嘘」
これしか分からない。もっと分かる人もいると思う。
あー。
肉体に痛みを持ってる人の周囲には雪みたいなのが出てる。
この「雪」が本当に「肉体の痛み」かどうかは、「絶対」とは言えないんだけど……。
幽かにしか出てないのに「痛い」と大騒ぎする人もいるし。
いっぱい出てるのに何ともない人もいるから(後から怪我や病気や障碍のことを知って「成程」と思う)。
一応書いておくけど……。
「他人の知覚」は私には分からないから、「痛いと大騒ぎする人」が大袈裟な性格である場合も、痛覚が鋭い場合もあると思う。
まあ……。
「大袈裟に騒ぐ」は「嘘」に該当するから、気分情報と合わせれば予想は付くけど。
頭の中に、知覚のチャンネル……モニター?が七つくらいあって(実際にはもっとあるんだけど、自分が認識できるのは七つ。しっかり認識できるのは六つかな)。
肉眼のチャンネルが常に一番強いわけじゃない。
けど、面倒臭いから一応「肉眼」をメインには据えてる。
他の情報は余り見ないようにしてる。
意識として認識すると「うるさ過ぎる」から。どうせ脳が自然と情報処理してるし。
この、私が「知覚のチャンネル」と呼ぶもの。
皆持ってるよ。多分。
意識下に認識できるか出来ないかの違い。
:20230827