子育て世帯はなぜ昔より肩身が狭い?
※『Yahoo!』で読んだ記事への感想です
> コスパを大事にする現代人にとって、
> もはや「子育て」は遠い存在になりつつある。
> 子育て世帯も子育てをしない世帯も、
> 自分以外の生き方に目を向けて、その背景を想像できるだけの
> 余裕が持てるようになれば、日本はもう少し
> 他者に寛容な社会に近づくかもしれない。
いや……。
寛容やん。
「生むな」
なんて誰も言ってない。
「どうぞ、お好きなように生きて下さい。でも、私には迷惑を掛けないで下さいね」
て言ってるだけ。
当たり前のこと。
そもそも、子ども作ってない人たちも政府を通じて出産育児の費用を負担している。
私みたいに、小学生の頃から「子どもなんて絶対に作らない!」と決めている人間でも、強制的に負担させられていて。文句なんて一言も言ってない。
ちなみに。
私が「子どもなんて絶対に作らない!」と考えるに至ったのは。
妹がいるからだ。
子どもというものが如何に自分の人生を損ねるのか、いやというほど思い知っているから。
「子どもなんて絶対に作らない!」
と言っている。
少し年の離れた「姉」、でしかない私の人生があそこまで損なわれるということは。「親」などになった日には人生はどぶに捨てたも同然である。
勿論。
人生をどぶに捨てたい人は子どもを作れば良い……私はそれを邪魔する気はない。だから、私の日常の邪魔もしないで下さい。
これこそ「お互い様」というやつです。
私みたいな子ども嫌いだと。
子どもが視界に入った瞬間頭の中が殺害方法で一杯になりますが……実行しないように、我慢しています。
この我慢は日常の中で最も大きく重いストレスです。
正直、子どもの存在を感じるだけで物凄くシンドイです。
ストレスで視界も歪めば、動悸も眩暈もおこります(子ども時代ずっとこの状態だったよね)。
だから、子どもが街中でウロウロしていることが容易に塑像できる、土日祝日や大型連休の時期には極力家から出ないようにしています。
ストックできる物はストックして。食料品の買い物以外では出掛けないで済むように細心の注意を払っています(これだって極力纏め買いしてる)。
読んでる本の新刊が出ても買いに行くのは基本的に九月です(コンビニに入荷される場合は別)。
これだけ日常に支障をきたさせられても、私が子どもに対して加害行動をしないのは。
子どもがこの世に存在しているのは、子どもの主体的な行動の結果ではない……要するに。生まれて来たくて生まれて来ているわけではないからです。
彼らは、親の自分勝手な自己実現の被害者である為です。
私も子どもも、子どもの親の被害者である、と言う意味では同じだからです。
親の罪を子どもが払うのはどう考えても道理が合わない……。
私、物凄く寛容に振る舞ってるやろ?
「お互い様」というなら、私や私と同類の人たちに対しても、私がしている配慮と同等の配慮をお願いします。
:20230821