生音、イヤフォン、スピーカーで音楽を聴く
音楽学大学院生の週一アウトプット*2
今日は今まで思っていたことを書きます。音楽の聴き方について。これは、どう解釈するだとかの意識の話ではなく、単純に音楽を聴くシチュエーションの話。
最近、私が参加するいくつかの音楽学のゼミで、昨今のストリーミングサービスや音楽を聴くためのデバイスについての話題が上がることが立て続きました。これはとっても珍しいことです。というのも、私が参加するゼミは基本的には言語起源論だとかクラシック音楽や民族音楽の音楽分析や文化人類学の論文を扱うからです。生音ばっかり扱っている人たちもやっぱり気になるんですね。
そして、はたと、自分が実生活で音楽を聴くシチュエーションについて振り返ってみた。イヤフォンが圧倒的に長時間。それもワイヤレスの。このことは、私だけじゃないと思います。生音離れ的なことがわかりにくいけれど少しずつ進んでいるような気がします。厳密にいうと生音至上主義離れとでもいうべきか。
私は一応、音楽は生音が1番だとうっすら思ってこれまで生きてきた。生音じゃなければ、割と本格的なスピーカーを使おうと思ってきた。それに今だってライブやコンサートが賑わっているのをみると生の力を求めている人は多いのだとわかります。
でも、今はイヤフォンの精度が上がってきたのもあるのか、結構イヤフォンが重宝しています。ヘッドフォンもしかり。クオリティの高い音が簡単に聴ける。
だがしかし。商品精度よりもっと決定的な要因が生音離れにはあると思います。それは、音楽がはじめからインターネットを通じてイヤフォンを通じてオーディエンスに届くことを前提に作られているということではないか。レコ発ライブなどと同じような感じで、オンラインで公開されてからそれを「生音」でライブやコンサートが行われることもしばしば。つまり、音楽がオンラインで公開され、オンラインで聴かれるというスタイルが多くなってきているということ。去年の日本レコード大賞を観ていてもこういうことを考えてしまいました。これはコロナが大きく関係していると思います。
生活の中の様々なものがバーチャルになっていくこの世の中、音楽も同じようにその在り方をゆっくりとじっくりとバーチャル世界に浸透していっています。音楽もMVなどの「データ」にその本質が移る日がくるのだろうか。
このことは、もちろんジャンルによってかなり事情は変わってくると思います。特にクラシック音楽や伝統音楽のデータ化にはいろいろな問題があります。なんだか、やっぱり書き出してもあんまりまとまりませんでしたが、追々ジャンル別の話にも触れていきたいです。
今日はこのあたりで。
FALL