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比較音楽学という領域

音楽学大学院生の週一アウトプット*41


今週は、私の専門でもある「比較音楽学」についてその基本を文章に起こすアウトプットをしようと思う。(自分の分野である分、下手なこと書くと恥ずかしいので余計緊張する。)

私は、便宜上「民族音楽学(=ethnomusicology)」が専門であると言える。民族音楽学とは、その名の通り世界の音楽を社会学や民族学、人類学などの隣接領域の学問の方法を使って視点を定めて明らかにしていく学問である。この名前は、20世紀中旬以降の民族学を基調としたアメリカでの学問を主に想定するために付けられた名前である。

今回、取り上げる「比較音楽学(=comparative musicologie)」は、その前進であると言える。つまり、一度「過去の学問」とされた領域である。ただ、この学問体系の潮流については、過去に様々な議論がすでになされてきた。それらの議論を全ておさらいすることはこのアウトプット如きではできようもない。それを知るためには以下の本、徳丸吉彦著『ミュージックスとの付き合い方』(放送大学叢書)をお勧めする。これは、私が大学院の入試の時に丸覚えした本である。非常に複雑な学問体系を徳丸吉彦氏によるクリアな説明で非常にわかりやすく記述されている。

比較音楽学は、現在の民族音楽学とは何が違うのか。それは、平たく言い表すと、学問の目指す方向性が「科学的証明」なのか「社会的証明」なのかという点である。前者は、音楽を音の現象として扱い、例えば録音などの当時使い得るテクノロジーを使用しそれを分析し「正確に」客観的な記述をすることを目指していた。それに対して後者は音楽は複合的な人間の営みの一部であり、それをその音楽を取り巻く背景を含めて一つのケーススタディとして記述するという文化人類学のような方法で、音楽からその文化全体を明らかにするということを目指す。なるほどかつて安定していた科学への信頼へ、ちょうど疑問が投げかけられた時代でもある。

この学問の代表的な学者は、ホルンボステル(Erich Moritz von Hornbostel, 1877-1935)、クルト・ザックス(Curt Sachs, 1881-1959)、カール・シュトゥンプ(Carl Stumpf, 1848-1936)らが挙げられる。彼らは当時博物館学が盛んだったベルリンにて主に保全を目的として活動したためたびたび「ベルリン学派」とも呼ばれる。彼らが採用した「科学的な」研究方法は、蝋管録音機を使用した録音や採譜なども含まれる。

この「過去の学問」が今の私の専門であるというふうにいうと非常に不思議に思う人もいるかもしれない。比較音楽学がのちに民族音楽学に取って代わられた最大の理由は、「音楽を紐解くためにはそれを音だけの産物としてではなく文化全体をみなければならない」ということであったが、民族音楽学の考え方に則った上で、もちろん音楽を分析する際の要素を「音」だけに限定することもできる。ということで、比較音楽学のやり方は現在も民族音楽学の領域内に存在するとも言える。(少なくとも私はそう考えている。)

のちの民族音楽学の代表的な学者、メリアム(Alan P.Merriam1923-80)は、録音に依拠してフィールドワークを欠いた研究をした学者を「肘掛け椅子の学者」と揶揄した(Merriam; 1960)ことは比較音楽学に対するわかりやすい批判でもある。しかし、よく民族音楽学ってなに?と聞かれ長い説明を返して少し飽きられてしまうこともあるのだが、この領域横断的な分野において比較音楽学は比較的(ダジャレのようになってしまった…)明確な目的を示しているとも言える。

このように過去の学問を振り返りその反省点を顧みた上でまた同じようなことをしてみようと試みる私のような人間もいるということだ。この文章を見て修論を書き上げる頃には後悔しているかもしれない。

FALL

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