檻の中 送致
↑前回の続きです。
※実体験につき、身バレ防止のため一部フェイクを入れております。
まず、同じ房に留置されていた他の3名について紹介したい。
1人目は『ケイ(仮名)』。
当時まだ未成年で、留置〜裁判の間に成人したという。
彼は北関東の某組織に所属しており、そこでのシノギで仲間内がミスをしてしまい、あえなく御用になったのだという。
少年時代はスポーツのジュニアユースに在籍していたそうだが、それよりヤンキーへの道を選んだとのこと。
いろいろとシノギの現場をこなすうちに、完全にそちら側の世界の色に染まってしまったのだという。
話し方も丁寧で、留置内でのことや裁判関係のあれこれも分かりやすく説明してくれるので、カタギの仕事をしてみたいとは思わないの?と聞いたことがあったが、
「俺みたいなのはこの生き方しかないんで・・」
と言って乾いた笑いを浮かべていた。
歳も郷里にいる弟と同い年だったが、ここまで違うのかと思うくらい大人びていた。
二人目は『コアラ(仮名)』
見た目がコアラそのままの見た目だったために名付けられたあだ名だ(笑)
彼は当時20代後半で、関東の某都市でニートをしていたが、ネットで見かけた怪しいバイトに手を出したそうだが、胴元が金を払わずに次々と仕事をさせ、ついには詐欺でアシが付いてしまい捕まったという。
彼は日系3世で、両親も家庭内では日本語より母国語を多く話していたそうで、なかなか日本の学校教育に馴染めず、高校からドロップアウトしていたそうだ。
少しだけ内装工事のアルバイトと、ライン工場での派遣勤務を経験したそうだが、逮捕される直前は10年近くニートだったそうで、
インターネットとネトゲの課金代を稼ぐために怪しげなバイトに手を出したとのこと。
お調子者で、愛嬌のある憎めないやつだった。
3人目は『パブロ』。
彼は南米の某国から来日し、外国人窃盗団として首都圏を中心にかなりの盗みを働いていたとのこと。
南米系にありがちな陽気な性格で、よくテンション高めに接してきたのだが、たまに家族(奥さんや母親)からの手紙が届くと、涙を流しながら読んでいるようないいやつだった。
(犯罪者に良いも悪いもないのだが・・・)
房内の掃除の時もキビキビ動き、仕事に関しては真面目に取り組むようなやつだったので、一度どうして盗みなんてやろうと思ったの?と訊いたことがあったが、
「最初は窃盗団なんて知らなかった。でも手を付けてしまった以上は逃げられないし、妻子のために稼ぎたいと思った」
といったような答えが返ってきた。
きっと元々は家族思いの優しいやつなんだろうと思った。
彼の体には母子のタトゥーが入っており、意味を訊いたら「妻と娘だよ」と言って愛おしげにタトゥーを撫でていた。
『パブロ』はあだ名で、彼の出身である南米の麻薬王パブロ・エスコバルに因んで私が彼をそう呼んだことを大層気に入り、
「俺もパブロみたいに大金持ちになるんだ」
と言って、それからパブロという呼び名が定着した。
彼とはその後もいろいろなエピソードがあった。
留置2日目の朝が来た。
私が収容されていた留置場は6時前に起床の呼びかけがあり、6時から各房の点呼が始まる。
点呼時には横一列にあぐらをかいて座り、両手の平を上に向けて『何も持っていない』ということを見せて、自分の番号が呼ばれたら返事をするという流れだった。
この時に返事をしなかったり、手の平を見せなかったりすると担当さんの怒声が飛ぶ。
そして直前のトイレも禁止。
担当さんのチェックが絡む際の自由はほとんどなかった。
(留置によってはいろいろルールも違うらしいです)
点呼が終わると布団をたたみ、各房ごとに布団を所定の場所へ納めに行く。
一日で房の外に出られる貴重な時間だ。
この時も自由に動ける訳ではなく、房内の全員が折りたたんだ布団を持って、房の外でスリッパを履いたのを確認されてから、初めて移動が許される。
布団を収納する棚の前に着いてからも勝手に納めることも許されず、担当さんからの合図があってから初めて布団を収納し、それから更に合図を待って房内のメンバー全員で一列になって房に戻り、それでやっと終了となる。
まるで軍隊のような規則だった。
それから房内に個人で購入した歯ブラシと手ぬぐいが差し入れられ、歯ブラシの先に担当さんが歯磨き粉を適量付けてくれるので、歯磨きと顔を洗う。
終わったら差し入れ口に出して、担当さんに回収してもらう。
風呂は週に2回で、私のいた留置は火曜と金曜だった。
祝日だと次回まで持ち越しとなっており、これも各房ごと順番に入っていたのだが、隣の房の人間が残っている場合もままあり少し話が出来た。
これ以外だと朝の運動の時くらいしか別の房の人と話せる機会はないのだが、運動といっても外に出してもらえるわけでもなく、6畳くらいの空が見えるだけのスペースに10分くらい出してもらって、ひげを剃ったり爪を切ったりしながら、そこで居合わせた人と話をするくらいしかなかった。
全房終わり次第、朝食が差し入れられ、行き渡ったら食事開始となる。
朝、夕がご飯食で、昼がパン食になるのだが、昼だけは『自弁』という出前が注文できた。
前日の午前に注文して翌日の昼に届くというもので、カレー、カツ丼、親子丼などの丼ものと、パックのジュースやコーヒーなどが頼めた。
ちなみに購入費用はもちろん自分持ちで、収容時に押収した自分の持ち金から差し引かれる。
私も何回か注文したが、留置という制限された状況だからとことん美味しく感じる訳であって、外にいたら確実に頼まないレベルのクオリティーだった(苦笑)
食事が終わると掃除道具が差し入れられ、トイレ、洗面台と絨毯の掃除機がけを房内のみんなで協力して行う。
全ての房が終わり次第、運動(ほとんど爪切りと髭剃りとお喋り)に順次回され、房に戻ると長い一日が始まる。
留置場とは逮捕された人々が集まる場所だが、
あくまで『逮捕』であって『起訴』ではないので、まだ罪状が確定している訳ではない。
(まぁほとんどの方が悪いことをして入っているのですが・・・orz)
だが、拘束は厳重にされるので、刑務作業のない刑務所のような環境だが、刑務所内でも夕食時にテレビを観られたりも出来るそうなので、それに比べたらかなり窮屈と言える。
それに留置所は拘置所(起訴されてから収容される施設)に比べて、食事が冷たかったりする。
(よく言われる『クサい飯』とかではなく、普通に美味しかったです)
偶然私は拘置所まで行かなかったのだが、拘置所の経験がある方からもいろいろと訊けたのだが、
人によっては留置より拘置所の方が居心地がいい、と言う人も少なからずいた。
留置所での詳しい話はまた次の機会に。
前日にガッツリ取調を受けていたので、私は留置2日目に検察に送致されることとなった。
ケイくん曰く「検事が拘束の必要なしってなったら今日で釈放されますよ」と言ってくれていたので、僅かばかりの期待をしていたのだが・・・
朝の掃除が終わったタイミングで、担当さんから
「10番、検察」
と言われたので、留置場の前の扉でボディーチェックを受け、手錠と腰縄をきつく結ばれ、外に止まっていた護送車に乗せられた。
その日は私を含め4名が検察送致だったようで、順番に席につかされると、車は走り出した。
そのまま検察庁に行くのかと思ったが、道中にあった別の警察署に立ち寄り、その度に続々と人が乗り込んでくる。
その一帯の留置収容者が相乗りして検察に送られるらしい。
最後の警察署に寄った後には、護送車の中は補助席までいっぱいになっていた。
その間、外の風景や道を歩く人々の姿が見えた。
まだ留置初日だったのでそこまでなかったが、最後あたりの数ヶ月語にはその風景を見るのがかなり辛くなっていた。
車はしばらく走り、検察庁の地下に入っていった。
他の地区から来たであろう護送車も停まっており、我々は護送車から降りて一列に並ばされた。
全員一本の腰縄で繋がれており、先頭から一列で行進のように先導の担当官に着いて歩いていく。
しばらく歩くと、留置場のような檻の付いた部屋がいくつもあるスペースに着き、床の上に引いてある線の上へ一列に並ばされ、留置されている警察署名と自分の番号を呼ばれるので、指定された収容房で座って待つ。
ここの椅子が木製の分厚いもので、もちろん座布団や絨毯などが敷いてある訳ではないので、座っているだけでも充分尻が痛くなる。
それから続々と人が入ってきて、全員の収容が完了し次第、検察の担当官から取調についての説明が入る。
担当官「今日は新検調べで〇〇○名いる。順番が来たら警察署名と番号を呼ぶから速やかに出てきて、担当官の指示に従え。
昼食は12時を予定している。衛生上の配慮から昼食時と食事前10分は用便(トイレ)は厳禁だ。
昼食時と用便時、それと体調不良時だけ手錠を外すから担当官に申し出でろ。
私語は一切禁止、従わない者は即座に処罰する。
我々担当官が認めた場合以外、特別扱いは一切しない」
前日のA担当官よりも更に圧の強い口調だった。
刑事案件になるとここまで当たりが強くなるものかと思いつつ、同じ房の人々を見ていると、ほとんどの人が諦めたように、もしくは面倒くさそうに明後日の方角を向いている。
私も特に何も考えることもなかったので、手首に架けられた手錠を見ながら、
(身体が痒くなったらどうやって掻こうかな)
なんて考えながらぼんやりと考えていた。